ご無沙汰してます。年初からもかなり大きな変革の渦が来ておりまして、日本人全体の意識が、より日本的なものに向けられてきている流れを強く感じています。
これは日本人がアイデンティティを失っている問題と密接に関わっており、若い世代がこの大きな渦の中で日本の新しいアイデンティティを取り戻した時に、日本の経済と世界の経済が再び活気を取り戻すだろうと予感しています。
さて、新しい日本のアイデンティティですが、それは以前にも書きましたようにククリでなくてはなりません。さらに詳しく言えば、アイデンティティの中に明治期の皇国史観のように西洋文化を排除したような思想があっては国内でも国外でも思想的妥当性は得られていかないでしょう。
シルクロード最東端の文明国として、これからの世界の調和と安定を世界に向けて発信していける公式は
【原始キリスト教+太陽信仰=大和】しかありません。
そして、大即是ケル(大和すなわちこれケルト)
と言いたいところですが、日本の古代は非常に複雑です。
さて、原始キリスト教ですけれども、白山を開山した人に、秦澄(たいちょう)という方がいます。この方は名前からもわかるように秦氏です。
越前における秦氏の勢力は非常に長大で織田信長もこの末裔にあたります。
まだ、ドラゴンアナスタのほうにはUPしていないのですが、昨年9月に白山平泉寺に参拝をしてきました。その際に前回、行くことのできなかった奥宮である三之宮に行ったのですが、祭神が栲幡千々姫 (たくはたちじひめ)でびっくり(下写真)
北極星ですね。タクハタのハタは秦氏のハタでもあります。
基本的に秦氏は機織(はたおり)とも関係しており、山梨県都留(つる)市の機(はた)神社(下写真左)では鶴と機(ハタ)が密接なコンビネーションで横たわっています。この機神社の参道には中央に神楽殿があり(下写真右)、お祭りの時は舞を舞うそうです。私たちが訪問した時は、舞の直後だったそうで残念でした。
ちなみに、この機神社の近くにはつるぎという地名もあります。
石川県の白山ヒメ神社近くにも鶴来(つるき)という地名がありますし、四国東部にも剣山という女神山があります。
これら3つを結んだ屋根のようなラインを私は「アメノコヤネライン」と呼んでいます。八紘一宇ですね。全ての民族が同じ屋根の下で平和に暮らすという屋根祭祀です。漢数字の「八」は、このコヤネを表しています。八幡が元はヤハタであった理由はここにあります。ヤハタの八と幡(旗)はつまりアメノコヤネと旗「秦・鶴」を表しています。
八幡神社総本社・宇佐八幡の原始信仰は北極星信仰と大元信仰(三体妙見)です。白山信仰と同じなんですね。
秦氏、機織、鶴、北極星はひとつの信仰集団を形成しており、能登半島を鶴の頭とした日本列島の形は、秦氏にとって神聖な形であっとことは容易に想像がつきます。上空からどうやって日本列島を見ていたかは別の方に研究はまかせるとして、そのような信仰形態が存在していたことだけは確実なようです。そして、それが私たち日本人の失われた信仰であることも。
古代の人たちは私に語りかけてきます。
「鶴の身体に中心などないように日本列島にも中心など存在しない。
それぞれが全体の中の一部を担っているだけだ」、と。
畿内を中心とした中央集権国家観ほど寒々しいものはありません。
私たちの先祖は渡来人を巻き込んで大地と鶴と命の祭祀を皆で行っていたのです。
そのような時代に人工的に中心地を決めてそこから地方を支配するというやり方が各地域の反発と抵抗を招いたのは言うまでもありません。
話を元に戻しまして、能登・白山を頂点として南西方向には秦王国と目される四国波多国、南東方向には上記の都留や秦野、箱根九頭龍を擁する南関東・秦氏巨大文化圏があります。
この3つの点をつなげるのが2年前のアナスタトリニティであったわけですが、最近ではより一層、その目的と方向性が明確になってきています。
さきたま古墳群の北に白山古墳(埼玉の古代史跡を巡る)があることからも(その他にも多くの事例あり)白山が北を表していたことはかなりの確率であると思われ、少なくともこの白山古墳の築造年代である7世紀前半には白山=北=秦=鶴が確立されていたわけであり、おそらくは天帝思想が白山信仰に結びついていただろうと推測できます。
天帝思想というのは、大和朝廷が帝国主義化していく中で非常に敵視された民間信仰です。天帝思想のひとつである天白信仰は、人間が天と同一化する神事が残されており、日本の中に天帝が何人も発生していたという痕跡なんですね。天竜川の天帝思想は諏訪湖を天帝としています。
そこに鶴が重なってくるのですから、明らかにこれは白鳥=ゼウスのギリシャ神話がなんらかの形で関わっていたことは明白です。ただ、日本にも古い北極星信仰がありましたから、そこに、誰が持ってきたかはわかりませんがギリシャ神話が力を持って日本の神話に取り込まれているんです。
ちなみに埼玉の白山古墳は秦澄の白山開山より100年も早いです。後で白山の名前が冠せられたとしても白山信仰と同様の違う名前の信仰が全国に散らばっていたことは明白だろうと思います。
日本最古の歴史書とされる『古事記』には、この神話の構造については何も触れられてないことから、いかに『記・紀』という歴史書が信頼のおけないものかがわかります。
ヤマトタケルが白鳥になって飛んでいったという神話こそ、この祭祀の崩壊を意味しており、息吹山「風」にあたって鳥として飛んでいくという構造は鶴祭祀そのものであり、メタファーによってメタファーを封じた最も好例と言えるでしょう。
今年2010年1月5日に息吹山を拝みました。初めて、その女神性を垣間見せてくれて強烈なインスピレーションを頂きました。
あたりを見回しても雪(幸)に覆われているのは息吹山だけ。風と水を集め太陽神に選ばれた(射精された)女神が、この地域の聖なる山であったことは想像にかたくありません。
ヤマトタケルは黄泉の国になど行っていません。しっかりと息吹いていました。
現在、私たちがイメージしている日本の古代像は明治期以降に作られた人工的な政治的なものであり、本当は出てきてはいけなかった天皇のブレーンであった藤原鎌足の遺物(邪馬台国大研究)や、祇園祭の山車、あるいは、平家をヘイケではなくフェイケと発音していたこと(古語やまとことばの発音は巻き舌で英語に近い)などから考察すると西洋、特にオリエントに近い西洋と日本の天皇制が密接に関わりを持っていたことが伺えます。
埼玉県稲荷山古墳『ウィキペディア(Wikipedia)』から出土した鉄剣には、大王に仕える杖刀人が刻んだとされる文字が記されています。
この杖刀人は、天照の御杖代になった倭姫『ウィキペディア(Wikipedia)』のような存在だったとも考えられ、杖が天皇を支えるメタファーとして存在するのは遺物からも神話からも明らかです。そして、その天皇が北で白山を意味するものであれば、南へのラインは御杖になります。今、この御杖代の方々からたくさん連絡を頂いており、鶴が立つのは時間の問題であると感じています。
あまり深くは書きませんが、なぜ継体天皇が越前から大和へ突如として迎えられたのか?この鶴・アメノコヤネ祭祀を知れば、全ての謎が解けます。
おそらく阿武山古墳の被葬者は鎌足であり、天智天皇の御杖代的存在であった原始キリスト教のブレーンであったと思われます。秦氏の末裔を戦国時代に公言した長宗我部元親・信親親子の色白・長身・柔和ときに激烈の性格は杖刀人に重なり、秦氏の中になんらかの西洋人が混じっていたのはもはや疑いようがありません。
また、中国では最近の発掘で、秦の時代(紀元前778年 - 紀元前206年)の工夫(こうふ)に白色人種が混じっている事実が判明し、静かなセンセーションを巻き起こしましたが、明らかに私たちが考えている以上に、古代は民族の往来と混合が激しかったのだと思います。
635年 ネストリウス派宣教団が長安に到着(実際はぞれ以前から活動していた可能性が高い)
638年 景教(中国に伝来したネストリウス派キリスト教)は唐により公認
上は唐の大秦寺『ウィキペディア(Wikipedia)』に纏わる出来事。
秦澄が白山を開山したとされるのは養老元年(716年)、つまり唐では、キリスト教ネストリウス派が積極的に活動している時期です。
秦澄がこの時期に白山を開山した理由はなんでしょうか?ちなみに同じ716年の4月23日をもって行基が弾圧され始めました。
秦氏と原始キリスト教の歴史は非常に長く濃いものがあります。その中でも秦澄の白山開山は比較的新しいものになります。秦澄開山以前にも白山信仰はもちろんありましたが、秦氏と白山信仰がつながることにおもしろさがあると思います。
白山が3馬場から成立していること、あるいはヤタ(ヤハタ)ガラスが3本足であること、ヤハタ(八幡)神社をハチマンと読ますようになったこと、秦氏に関する不思議を上げればキリがないほどです。そして、一般的には秦氏が権力に興味がなかったから全国に散らばっているとされていますが、本当にそうでしょうか?
私はもっと広い視野を持っていた氏族だと思います。その中に鶴祭祀があるのです。この鶴祭祀には葛城氏や賀茂氏も関わっています。そして小野氏もです。
越前秦氏の文化圏は特に近江や尾張・美濃とも密接な関係があり、昨年末から白山から南に下った御杖の位置にある方々から連続して問い合わせを受けています。
冒頭でお伝えした日本人の新たなアイデンティティと、この鶴(白山)の御杖は非常に密接な関係があります。御杖が建ち、鶴が翼を広げれば日本列島は羽ばたきます。
しかし、これには最後に『風』が必要です。
同じ屋根の下で大きな風をともに起こしていきましょう。
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響の個人セッションでは、それぞれの方向性と目的にあわせた8回ワンセットの連続セッションを実施しています。魂の方向性を明確に認識し、軸建てを早めることはもちろんのこと、エネルギー認識が深くなれば深くなるほど起こってくるネガティブエネルギーの回避・防御を守護星・守護神・守護石などで行う講座なども含まれています。昔はこのシステムを産土神(うぶすながみ)と呼んでいましたが、現在ではこのような伝統も廃れてきたことから無防備でネガティブエネルギーにさらされる方も少なくありません。
守護神は必ずしも住む土地の産土神(うぶすながみ)である必要はなく、ご自分の先祖や魂のルーツにも求めることができます。守護神を知りご自分の元素的属性を知ると自分の役割が割りと簡単に見えてくるようになります。
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また
自信を持つこと・・・・善いこと
傲慢になること・・・・あまり善くないこと
と一般的に理解されます。
では、その判断基準、あるいは分岐となる思考はどこから発生してきたのでしょうか?
これこそ『サ・ニ・ハ』(ジャッジメント)なのです。
古い神様で言えばクナト神が、この分岐点を表します。
クナト神は後に道祖神やサルタヒコと習合して道が分岐するところに祀られたりしました。
分岐とは「岐(クナト・フナド)の分かれ」という意味です。
このクナト神こそ日本的な神様で、同じエネルギーでも大きさによって善にも悪にも転じるということを教えてくれる神さまであり、世界にとって今、最も必要とされている神さまでもあるでしょう。
現在、世界では金融市場の暴走から、資本主義そのものに対する不信感が募っていますが、資本主義そのものが悪いわけではなく、資本主義をサニハできていないことが問題なのです。
ですから私は、暴走し始めたエネルギーにはジャッジをしなければならないということを言っていますが、自分自身を他者と比較しジャッジしてしまう傾向の強い人はもちろんノン・ジャッジでなければならないでしょう。誤解される場合があるので再度、書いておきますね。
自分を裁いて自信を持ててない場合は、クナトの分岐までは来ていないので、ジャッジせずにすべてを受容するノン・ジャッジでかまいません。
問題はそれ以降のことで、自信を取り戻し積極的に自分の哲学を社会に向かって発信していくときに、その情報発信が自分だけを利するひとりよがり(傲慢)なものになっていないかサ・ニ・ハする必要があるということなのです。
クナト(来なと)は未だ方言でも残っているように「これ以上来ないでね」という意味です。傲慢のほうに来ないでね、と目を光らせているのがサルタヒコ(ミカエル)なのです。なぜならあちら側はダークサイドに転じるエネルギーだからです。自信をつけてクナトから極限にアセンションするとそれは誇り(鉾の理)になりますが、クナトを通り越してあちら側に落ちてしまいますと、傲慢→自己陶酔に陥り、かなりの確率でクナトのヤチマタまで2度と這い上がってこられなくなります。
このような原理を知らずに、どんどんあちら側に落ちていく人たちが大勢いたので、ジャッジメントの記事をずっと書かせてもらっていました。
ですから他者と比較し自信をなくしてしまっていた人たちはこれまで通り、自分だけを信じてサルタヒコの行燈でクナトのヤチマタまでお進みください。
クナトまでたどり着いた場合は、自分自身がサルタヒコになり道を照らしてください。重要なことはノン・ジャッジを大々的に宣伝することではなく、迷っている人たちに何も押し付けないことこそが重要です。ノン・ジャッジで救われる人もいるし、ジャッジで救われる人もいるのです。
ただ、クナト神に到着した時点で善悪の判断ができなければ、誇りへとは昇格せず、傲慢→自己陶酔へと転じていきますので気をつけないといけません。
サニハは個々の人格を裁くものではありません。エネルギーがダークサイドに落ちてないか正・邪の判断をするだけのことなのです。
これはなかなか難しい領域のことでもありますし、サルタヒコや道祖神に対して深いエネルギーリンクと認識がないと判断ができにくい場合があります。
響の個人セッションでは、これらのニハ(正邪)の判断を行っています。またこの判断能力を踏まえた養成講座も実施しています。
最近では、聖地巡礼が一般化してきておりまして非常にハイレベルなメッセージを受信をする方たちが増えてきておりまして、感じているエネルギーと祭神や祭祀が合致しないというところにまで到達し、ニハの判断を迫られる状況が起こっているようです。
私自体は、お客様が受信したメッセージそれぞれの判断は基本的に行わずに、お客様自体のエネルギーがクナトのこちら側かあちら側にいるのかで判断させて頂いていますので、どうぞご安心してお問い合わせ頂ければと思います。
お医者さんが個々の人格を裁かずに臓器だけを裁いているように、サニハも個々の人格を裁かずにエネルギーだけを裁いています。ただひとつ違うのは臓器は目に見えますが、エネルギーは目に見えないということだけです。
しかし、しっかりと訓練をつめば簡単にわかるようになります。スピリチュアルとは本来、そういう有意義なものです。
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1/17 ヨガ&クリスタルワークショップを横浜で開催します。
詳細はこちらです。
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明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
クオリアは、関東・関西ともほぼ定員に達している状態で、あとは若干名予備枠を残している状態です。
皆さん、様々な状況が苦しい中でのお申し込みなのですが、支えあって生きていくことの意味を是非、クオリアで再確認していただければと思います。
スピリチュアル業界の中でも、『お金をもらって、はい、さようなら』みたいな資本主義の申し子みたいなことをやっている人たちがいらっしゃいますが、そもそも日本のスピリチュアルはそういう雰囲気から生まれたものではなく、9・11後の世界をどのように作っていくのかという社会主義的な力によって生まれました。
何度も書いてきましたが、このことは本当に理解して頂きたい基本のことです。
エネルギーもお金も奪い合えば、必ず限界がきます。
その限界が世界の経済市場で起こっているのです。
スピリチュアルは、日本の閉鎖的なオカルト社会に足を引っ張られるのではなく
このような経済の問題をも解決できる業界に育たなければなりません。
なぜなら、世界のあらゆる市場は『奪い合って成り立つ社会』から
『与え合って成り立つ社会』への転換を迫られているからです。
それを愛と呼ぶのですが、その感覚こそスピリチュアルインテリジェンスによってしか醸成されないでしょう。
このような感覚を持った人たちが10人も集まれば豊かな生活ができます。ごくごく最近までの日本の地域社会はそのようなものでした。今でも地方には残ってます。
与え合うとは言いましても、それが自己犠牲のみで成り立つようであれば、それは虚構になります。本当の与え合う社会とは自己犠牲が別の自己犠牲で完全に埋められる社会であり、結果、社会からは自己犠牲がなくなるというものです。そこに察しと思いやりの文化があるわけで、80-90年代を通じて仕入れた外国の個人主義文化を私たち自身が改めなければならないんですね。
何がよくて何が悪かったのかを反省しなければ改善は生まれません。その自問自答の中にこそ光はあるのです。自己陶酔の中に光はありません。
私たち自身が、身の回りの環境を自分以外のものに依存し、責任転嫁しているからこそ社会は衰退していきます。
キルケゴールも道元禅師も同じことを言っています。
『主体性を持ちなさい』 と
主体性を持つということは、自分の所属する社会に責任を持つということです。
ただ、それをやれと言われてすぐにできるものでもなく
そのためのきっかけやインテリジェンスをラビングアースでは提供しています。
人間の成長には限界は無く、与え合うことの大切さや
愛ある行動の実践を繰り返していくことで様々なエネルギーを喚起することができます。
小手先のテクニックではなく、魂のレベルでの革命を内において体験して頂きたいと思います。
響の個人セッションページを少し修正しています。
是非、皆で理想の自分・社会を築いていきましょう。
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基本的に私は、ナショナリストで日本大好き人間なんですが、縄文と、もうひとつどうしても隠しきれない原始キリスト教のルーツがあります。
神道を突き詰めていくと、どうしても原始キリスト教にぶつかり、それが天皇制と密接に関わっていることはもはや疑いようのない事実になっています。
秦氏はもちろんのこと、九頭龍のクズ、葛のクズ、来栖のクルスは、『十字』の意味であり、クロスの日本語読みなのです。
日本では卑弥呼が没する頃から、帝政ローマを開始したディオクレティアヌス『ウィキペディア(Wikipedia)』の時代には、未だキリスト教はローマにおいて国教化されておらず、非常に柔軟な信仰体系を持っていたと考えられます。このディオクレティアヌスの治世下でもキリスト教の弾圧が行われ、宮殿が放火されますが、日本でも同じようなことが起きています。
斉明天皇が過度の土木工事を実行したため民衆は怒り、宮殿を放火しました。また斉明天皇の本当の御陵は高知県にありましてウクルス山という山に斉明天皇が眠っています。『土佐物語』に経緯などがはっきりと書かれています。
クルスは岩石という意味もあります。戦国期のサンフェリペ号事件でもクルス岩という岩石が出てきます。
クルスはクロスであり、日本古来の大王制に古代ローマの共和制と原始キリスト教などが混合し邪馬台国は誕生しました。日本古来の桃信仰と原始キリスト教のマリア信仰(元は同じ)が習合した女性天皇制は斉明期まで継承されたということです。
この文化を封印するために帝政ローマのキリスト教(1神教)が仏教の中に忍び込んで仏教鎮護国家を形成していったというのが日本の宗教史になるかと思います。東大寺・国分寺建立の思想の中には帝政ローマの思想が多分に含まれています。共和制ローマの原始キリスト教を<岩に住み着くクズ>と呼んで差別した仏教鎮護国家の国家主義者の頭の中身は帝政ローマの1神教キリスト教の異端排斥の宗教原理が働いており、古代日本でも帝政ローマ内で起こった宗教弾圧が行われたということなのです。
西洋文明を取り入れて大日本帝国を作った近代と、帝政ローマの文明を取り入れて仏教鎮護国家を作った上古は酷似しています。
この問題は非常にデリケートな問題で、キリスト教が日本を作ったみたいに認識するのも全くの間違いで、繰り返し言いますが、日本に根付いた原始キリスト教は、共和制ローマ期の古代キリスト教であり、帝政ローマ期のキリスト教が異端として追放したものです。
その追放されたキリスト教が日本のヤオヨロズ思想と結合し近代的な天皇制を生み出していったのです。この習合のありかたこそ、アイルランドの太陽信仰+キリスト教であり、日本の古代は、ほぼケルティック・クロスで表現されるわけです。
だからこそのシラヤマリアでもあります。私たち日本人の記憶の奥に眠るキリスト教は、カトリックでもプロテスタントでもなく、西洋が失った多神教の原始キリスト教なのです。それが認識できれば、今、何をやらなければならないのかが自ずと見えてくるのではないかと思います。
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hibiki の個人セッション では、お客様が日常生活の中で受け取りましたメッセージの解読なども行っています。石から声がする、急に~へ行かなくてはいけないような衝動に駆られる、などの現象が発生している場合は是非一度お問い合わせ下さい。
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『地震が来る』と感じ、がばっと目が覚めて<夢か>と思って、うとうとしていたら10分後に地震が来ました。
1昨日、土佐湾から始まった南海トラフおよびその周辺部の地震は、かつてない規模のものです。
それが何を意味しているかは、今までも何回も書いてきたので改めて書きませんが、白鳳の地震に匹敵するものと同じものになるのはほぼ確実でしょう。(これも何度も書いてきました。)
白鳳の地震では、土佐の陸地が12万平方キロメートル沈み、伊豆の大瀬崎が隆起しました。
古代の人たちは、天神が陸を没し、新たに陸を引き上げたと考えました。あながち間違ってないでしょう。地震が起きる前は数々のメタファーがやってくるのですから。
この連動型地震を食い止めるために、聖地巡礼も行ってきました。ラファエルのラッパは光と闇、両方を意味する最後の審判『ウィキペディア(Wikipedia)』です。12月15日のラファエルのラッパ音とウズメのダンス鈴の音の聞こえ方と今朝の地震のメッセージの飛び方が非常に似ていたので、おそらく、なんらかの因果関係があるのは確実です。
特に伊豆周辺部と、四国はアメノコヤネラインの外郭ですから、重点的に行っておりまして、本当は多賀・白山巡礼が終わった後に、尾鷲に行って御杖を建てないといけなかったのですが、いろんな抵抗があって、また私自身も気乗りしない理由があって、そのままになっていました。
上の引手力(手力男)の例からもわかるように、日本古代における神は、天変地異の神格化であります。
私があまりくどく書きますと、また逆の結果を生みかねないので、これぐらいにしておきますが、最後の審判を良い結果に転じさせるために、この年末年始は、冬至は太陽の復活を祝い、正月は年神の再生を祝い、どんと焼きで神さまを天に送り出しましょう。
心配せずとも大丈夫です。まだ少し時間があります。来年からは巫女ネットワークをやるようなメッセージが来ていますので、その結果を待たずして大地が荒れ狂うということはないと思います。
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