サトゥルヌス『ウィキペディア(Wikipedia)』に関しては何度か言及していますが、もう一度。
古代ローマで大地神を祝う祭りが毎年12月に行われていました。しかし、ある時からこの土神は封印されてしまいサタンという名のもとに差別を受けるようになりました。堕天使ルシファーが生まれたのも、この土神の堕天と関係しています。
日本では『土』という文字が、サトゥルヌスを表しています。全ての生命は土から生まれ土に還ります。これを漢数字で十から一に還ってまた始まるという意味を与えて土(11)。そして、それが土を表す文字に当てられて『土』が破壊と再生を意味するものとして認知されるようになりました。
土佐が、なぜ破壊と再生をあらわすシヴァの国で、九十九洋を擁する弓月国であるのかは、この土に対する説明でも理解ができます。
前回、トリムールティと葦原中国で書いたように、九十九(四国)から百(富士)に進む過程は、11月下旬から12月中旬にかけて収穫祭から冬至(太陽神復活)までの期間と合致します。サトゥルナリア祭も12月17日から7日間行われ、日本では新嘗祭が11月23日に行われます。そして西洋では冬至がクリスマスになり、日本では柚子風呂にそれぞれ変化していきました。起源は同じです。
サトゥルヌスをイタリアに迎えたのが実はヤヌス『ウィキペディア(Wikipedia)』という両面の神。入り口と出口を同時に表す神で、すなわち生と死、インド的にはシヴァを表す神様なんです。
漢数字で表すと十一(十が終わって一が始まる)、漢字では土(土に還って土から始まる)になります。
この『土』が土佐と関わることは今まで言及してきたのですが、もうひとつ重要なところが美濃(岐阜県)の土岐氏です。岐阜県には未だ、両面宿儺『ウィキペディア(Wikipedia)』の信仰が残っており、ギリシャ神話において土神・クロノスが時間の神・クロノスと同じ響きを持っているように、土岐氏の土岐(とき)も、時間の意味と土神の意味を両方持っています。さらにヤヌスを表すような両面宿儺伝説があるのは決して偶然ではないでしょう。
土岐氏は五摂家の一条氏と非常に密接な関係があり、応仁の乱時に一条兼良が美濃に、そしてその長子一条教房が土佐に下向したのは、その背後に”土”信仰がベースにあったことが伺えます。長宗我部元親の正室は美濃斉藤氏の支流・斉藤利三の妹ですし、利三の兄弟も信長没後に土佐に入っています。この”土”つながりが本能寺の変のバックにあったのですが、光秀がキリシタンであったように、”土”だけでなく秦氏を中心とする原始キリスト教グループが(一条教房が下ったのは幡多ですから)ギリシャ・ローマ神話を知っていたことはほぼ確実であろうと思われます。
しかもそれが五摂家の話ですから(五摂家というのは摂政・関白の地位につける5つの家柄のことです)、ことはかなり重大なのです。関白は天皇の代理という意味であり、現在でも天皇は、即位の前に大嘗祭を行います。この大嘗祭こそ、サトゥルヌスの中のサトゥルヌスを祝う宮中儀礼であり、冬至の太陽神復活を祝う前段階のものなのです。
七曜の『金⇒土⇒日』の流れが、新嘗祭(稲穂の金)⇒土神への感謝⇒太陽(日)神の復活に見事に一致しているのです。
古墳時代に土で作った埴輪を並べたのは明らかに、この”土”信仰から来ており、埴輪を並べることによって太陽神復活を願ったわけですから天皇の復活を願ったということなんですね。また古墳自体が土への信仰を表しているので、古墳時代の終焉が土信仰の衰退を意味しているだろうと思われます。少なくとも8世紀には西洋において土天使・ウリエルが4大天使から外され異端視されるようになりました。
日本の古墳の起源は卑弥呼の復活を願い続けた軌跡かもしれません。そうこうするうちに土に対する信仰が薄れ、仏教が人々の心を捉えるようになった、ということではないかと思います。地方の古代寺院は後期古墳群のすぐ近くに建てられていたことを考えると、この説もかなりの説得力を持つだろうと思います。
土神がやってきて、日神がやってきて、次に月神がやってきます。
年を落とす年神は日本で大歳神と言われます。英語で一月はヤヌスの月、すなわちJanuaryなのです。
日本で月曜日の月(げつ)は月(moon)を表し、月型の湾を持つ土佐に”土”の字があてられているのは決して偶然ではないのです。そしてそこに弓月国から渡ってきた秦氏の秦王国である波多国が存在し、そこから聖徳太子の懐刀の七星剣が出土し、応仁の乱時に一条氏が下向したのも偶然ではないでしょう。
日ノ本国の祭祀は、インドの音の祭祀とオリエントの古い七曜の祭祀です。
縄文の日月星・鶴亀信仰をベースとしながら
(日=富士山、月=四国、星=白山 鶴=北、亀=南)
その上に前回書いたインドのトリムールティが重なり
(ブラフマン=富士山、シヴァ=四国、ヴィシュヌ=白山)
それと前後してシュメールの七曜も入ってきており下記のような祭祀が、ほぼ中央構造線沿いに出来上がっていたものと思われます。
月=土佐湾
火=剣山
水=鳴門
木=紀の国
金=三河(金の稲穂を持って神島を渡る因幡の素兎)
金烏と玉兎(金の鳳凰「鳳来寺」と稲田姫「豊川稲荷」)
土=美濃・飛騨・穂高(両面宿儺・八面大王・生島足島神社)
日=富士・常陸
『日は、また昇る』とイメージする時、富士をイメージする場合が多いのは、この時代の名残だろうと思います。
またこの七曜祭祀は、天の川祭祀と同じように、各地方で入れ子のように至る所で行われていたと思います。
卑弥呼は、火と水の巫女であり、つまり剣山と鳴門に土着していたという意味になるでしょう。鳴門は主に淡路島と神戸に土着するナガスネヒコグループで統治されており、神武(天武)東征においては、どうしても神戸を攻略できずに伊勢側から畿内に入っています。
時系列的に少しおかしくなりますが(これからの課題)、日ノ本国を侵食して原始キリスト教と近代的天皇制を持ち込んだ秦氏・加茂氏グループですが、鉄・文字・銅矛祭祀を中心とし、クニの概念を持ち込んだのではないかと思います。
フェニキアとローマは、カリュブディス『ウィキペディア(Wikipedia)』という渦潮を擬人化したイタリア本土とシチリア島の間のメッシーナ海峡近くで激しい戦争を繰り広げました。(ポエニ戦争『ウィキペディア(Wikipedia)』)
カリュブディスはギリシャ側からは怪物として神話に現れますが、フェニキア人からは蛇神として信仰されていたのではないかと思います。とぐろを巻いた蛇のモチーフは日本の神社にはよく見られます。地中海のシチリア島を巡るローマとフェニキアの制海権の争いは、淡路島を統率したものが瀬戸内の制海権を握ることができるという瀬戸内を巡る攻防の中にも見出すことができます。(源平合戦や藤原純友の乱)
シチリア島『ウィキペディア(Wikipedia)』=淡路島
鳴門の渦潮=メッシーナ海峡のカリュブディス(渦潮)
シチリア州の国旗三脚巴=秦王国の国旗蹉跎(アクエリアス安曇)
秦王国佐田岬(愛媛県):足の形=フェニキア人が支配下におきたかったイタリア本土:足の形
シチリア島のトリナクリア(3つの岬)
パレルモ=北淡、メッシーナ=鳴門、シラクサ=由良・名草
神武天皇に抵抗した長髄彦(ながすねひこ)は長い脛の神格化。おそらくフェニキアと何か関係があるでしょう。フェニキアが日本の先住民族と融合した後に西から新たな勢力がやってきたと考えるのが合理的。縄文とフェニキアが融合した時にある程度の神話体系が整っていて、その後、神武東征紀が付け加えられた可能性が高い。
フェニキア人が熱狂的に信仰していたとされる2本の柱は、イザナギとイザナミがそれぞれまわる柱に相当します。ヘラクレスの柱『ウィキペディア(Wikipedia)』が最も有名です。縄文の典型的な信仰は、飛鳥坐神社の種付け神事に見られるようなまぐわいものです。それに柱が加わっているのは地中海沿岸の文化が流入してきていたと考えられます。縄文の心御柱信仰とうまく融合したようです。戦争による民族離散時期や航海能力から考えるとフェニキア人が最も妥当でしょう。
またヘラクレスの武器は不滅の鉄鉾、フェニキアが関わっていたとされる秦王国の文化圏は銅矛文化圏。現在でも波多国では銅矛を使った神事が行われている。
フェニキア人が勢力圏にしていた地中海の西岸レバノンから地中海東岸のジブラルタル海峡までの距離のたったの3倍(1往復半)の距離で日本まで来ることができます。スエズ運河『ウィキペディア(Wikipedia)』は紀元前2000年頃には既にあったようですからに日本まではパキスタンのカラチ、シンガポールで一息すれば陸つたいで意外と簡単に来られたでしょう。
****黒字部分は引用*****ちょっと一息****
カルタゴの提督ヒルミコ(卑弥呼)は、「波と波の間の谷にたくさんの海藻が育ち、それは茂みのように船の航行を遅らせる(中略)海獣たちがあちこちでのろのろ動いていて、のろのろ進む船団の間を、巨大な怪物がだらだらと泳いでいる」(淡路島と垂水の間の海峡にたくさんの海藻が育ち、それは茂みのように船の航行を遅らせる(中略)第六天面足やカシコミたちが垂水付近で人型に成り始めていて、のろのろ進む船団の間を、西宮のえべっさんが笑いながら泳いでいる)
****黒字部分は引用*********************
神世七代にもシュメール(後継のバビロニア)の七曜の考え方が入っており、それらが縄文の信仰とうまく融合しているのが日本神話のおもしろいところでしょう。
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聖音オームについては、過去に一度書きましたが、今回はもう少し掘り下げて書いてみたいと思います。
(参考⇒聖音オーム、そして三輪)
オームはaumと書き、『a』が維持を表し、『u』が破壊を表し、『m』再生を表しています。
これを月(moon)で表しますと、月が満ちている時にアーという言葉を発し、満月になって月が欠け始めた時にウーという言葉を発し、新月にム(ン)で括られるということになります。
今年は昨日(2月14日)が、ム(ン)の元旦であり、ついたち『ウィキペディア(Wikipedia)』でした。
神社には狛犬が祀られており、これも聖音オームを表している場合があり、ア・ウンとも呼ばれます。
日本のアカサタナは、この聖音オームの括りに様々な音を入れ込んだのが起源となっているでしょう。ヒフミやイロハはこれとは根底にあるものが違います。
しかし、『ヒンドスタニーミュージック』シェイラダール著 中村 仁 訳 (J.I.N Music Association)に書かれていますが
********************引用はじめ***********************
インド哲学は本来「音の本質」というものに関心を示し、インド音楽と深い関係を持っている。特にヨガやタントラでは、この現象的な世界において絶対的な創造物である太古からの音、ナーダ・ブラーマン(Nada Brahman)があったと信じられている。ナーダとは最も緻密な要素で構成された宇宙の音、そしてブラーマンの創造する力のエネルギーはまた、ナーダ(音)あるいはシャブダ(Sabda 言葉/音声)という意味付けもされる。
ヒンドゥー教の概念によれば、音というものは二種類あると考えられる。ひとつはアナハタ・ナーダ(Anahata Nada 非物理的な音)でこれは単に五感に感じる音ではなく、精神や魂を通じて心に響き渡る音という性質のものである。ふたつめはアハタ・ナーダ(Ahata Nada 物理的な音)であり、アナハタ・ナーダの性質と非常に意味を異にするものである。
このように、インド音楽の起源は深く精神的でありまた宗教的である。また、ほとんどの神や女神は音楽やリズムの性質に基づいて、何からの形で象徴的に関わっている。創造の原動力であるブラーマは、ビーナーを手にしたサラスワティーとして崇められているし、シヴァはダマール(太鼓の一種)と共に踊り、クリシュナは彼の崇拝者を美しい竹笛で魅了する。このように全ての神性の具象化には、伝統的な歌や踊りで彩りがなされてきた。
********************引用おわり***********************
アナハタ・ナーダ(Anahata Nada 非物理的な音)とアハタ・ナーダ(Ahata Nada 物理的な音)の考え方は、日本の古い古い信仰の中に重なる信仰です。
昨年12月の連続地震前夜に感じたウズメの腰ダンスで鈴が鳴っている音は、非物理音のアナハタ・ナーダであり、それがタクハタ王女(白山・北極星)につながり、12月末から年初にかけて御杖が建ちはじめ、物理的な音・アハタ(八幡)ナーダとなって、愛知県(葦原中国)に現れてきているのです。
おそらくこのインド哲学根本の音信仰は、日ノ本国に取り入れられていて銅鐸文化の根幹を成していたと思われます。
これは、前回、阿弥陀如来と弓月国で書いた伊勢湾を日ノ本中央とし富士・常陸を『日』とし、四国九十九洋を『月』とし、白山を『星』とする、そして中央構造線沿いに日迎え・日送りを行っていた日ノ本国の祭祀とかなり高い親和性を持っているのです。
後世のヒンドゥーでは「a」は維持神ヴィシュヌ、「u」は破壊神シヴァ、「m」は創造神ブラフマーを表し、全体として三神一体(トリムールティ)の真理とされますが
日ノ本国に照らし合わせてみますと
「a」が白山でイザナギとイザナミをくくるククリヒメ。しかも維持神ヴィシュヌは鳥神ガルーダに乗っており、能登半島を鶴の頭とした鶴信仰に重なる。またヴィシュヌの妃はラクシュミである吉祥天、吉祥天は北を意味しますからこれもがっちりと合理性があります。
「m」はブラフマーで不死身の太陽神・富士山。創造神ブラフマーはハンサという白鳥にのった老人とサラスバティ(弁財天)。富士山になぜ日本武尊とコノハナサクヤ姫が祀られるようになったかは、ヒンドゥー教で解決できる。コノハナサクヤ姫はコノハナ(磐)を裂いて出てくる水、つまりイチキシマヒメであり弁財天。
そして「u」は、破壊神シヴァ。四国九十九洋中央部のシヴァの乗り物ナンディンを表すような牛型の巨石があり、その麓に日本初の天満宮がある。(参考⇒天満宮と北極星)また、シヴァの漢訳である大黒天に関する伝説が多い。
そして四国南西部で、月をあらわす大月町、四国88ヵ所「発心(阿波)・修行(土佐)・菩薩(伊予)・涅槃(讃岐)」の内、修行の最終章で死と再生の分岐になる第38番札所 蹉陀山 補陀落院 金剛福寺(こんごうふくじ)、そして 白皇。白皇を数字に分解すると99+111=210(詳しくは白寿・皇寿を参照されたし) 二百十日(にひゃくとおか)『ウィキペディア(Wikipedia)』は立春から起算して災いがもたらされる日。210はシヴァを表す。土佐国一之宮の最大の祭り・しなね祭は二百十日(にひゃくとおか)直前に風神を鎮めるための祭り。
土佐神社の主祭神・一言主は、悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。「u」と言い離てば、善も悪も全てが破壊されるという意味。その後、波多国に入ってきた加茂氏が掲げた神・事代主は、はじめに言葉ありきの西洋の神。出来事と言葉を同じものとして捉えていた非常に哲学的な民族。はじめに音ありきのインドとは一線を画す。
一言主の神格の一部を事代主が引き継ぎましたが、根底は『聖書』と『ダンス』で少し違う。前者は男性的で後者は女性的。聖音オームで統合する必要があるでしょう。
このインドのトリムールティが適用された場合は、「u」が99で「m」で100となる。すなわち九十九神が四国九十九洋で百が富士となる。隠れた桃の産地である山梨は実は古い歴史があるのではないだろうか。
100でリセットされ白山・立山に戻る。立山からは日本最高峰の富士山が見え、白山以西で西日本最高峰は石鎚山。石鎚山には平安時代まで三位一体の信仰があり馬場が栄えていた。
ヤマトタケル信仰が東日本に多いこと、神功皇后伝説が西日本に多いことは、東のブラフマンと西のシヴァで解決できる。
モーセ『ウィキペディア(Wikipedia)』は、シナイ山で神(大天使ミカエルと言う説あり)から石版2枚の十戒を受けた⇒はじめに言葉ありき
アマテラスを天岩戸から出すために、①オモイカネは常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた ②アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし ③高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った⇒はじめに音ありき
こう考えると、天岩戸神話は倭国ではなく日ノ本国(銅鐸・音文明)の神話であることがわかります。
弥生時代後期にシヴァ国(月国)が銅矛文化圏の侵略を受けて、次第に倭国を形成していったということがわかります。
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昨年5月の遠隔ワーク時にオン・キーリクという言葉が出てきて、昨年11月に無量光寿という言葉と共に仏の夢を見ましたが、なんのことかまるでわかりませんでした。それが今日になりまして、阿弥陀如来『ウィキペディア(Wikipedia)』のことであることがわかりました。
確かに5月にキーリクは阿弥陀のことというコメントを頂いておりましたが、無量光寿という仏が他に存在するかと思っていましたが、阿弥陀は漢訳で『無量光仏』とも書かれるらしいです。
しかも垂迹神が八幡神で、ちょうど応神天皇の都(アクエリアス安曇)を突き止めた瞬間に全ての謎が解けました。
しかも秦氏が渡来した時と文献上記載されているのは、応神天皇の時代です。何か関係があるでしょう。
鶴の御杖を建てなければならないのは、日ノ本国の復活を意味しているようで、伊勢湾を日ノ本中央とし、日の国常陸、不死身の太陽神・不二を東に仰ぎ、西に巨大な九十九洋を擁する四国弓月国を月国とし、白兎渡しが行われていたようです。
太陽を全身に浴びて育った金の稲穂を太陽の使い”兎”が、富士-穂高-渥美-伊雑宮-名草宮-淡路-月国へ持ち込み、兎が餅つきを始めるのです。そこに鏡餅が完成し、私たちは年(大歳神)をとります。月に兎がいるというイメージはおとぎ話の世界ではなく、そのような祭祀を日本全体で行っていた名残なのです。
南海地震『ウィキペディア(Wikipedia)』では、常に星国・鶴(白山・立山)の右手の先である月国・土佐が沈み、東海地震と連動し、左手の先である日国・富士山が持ち上げられているのがわかります。まるで扇子をもって鶴が踊っているようにです。日を追うごとに、富士山は不死身になり日出ずる国は不滅になるという考え方です。そして月は没しても再生してくる。日・月・星は三位一体なのです。これが日ノ本国の根本認識です。
月と兎のイメージは、中国伝来のものとして処理されがちですが、非常に軽率な解釈だと思います。その古層には縄文文化があり、縄文文化は中国大陸にまで広がっていましたから、その縄文の古層が先祖還りしてきたというほうが正確です。これは七夕においてもそうですし、密教に関してもその古層と日本の古層は同じになります。
阿弥陀如来は明らかに瀬織津姫です。
大日如来は、月と星が習合し神格化された如来です。金剛界は太陽神・ニギハヤヒの根本原理をインド的に示したものであり、胎蔵界は大地母神・瀬織津姫の構造をインド的に表したものなのです。
であるから、垂迹というアクロバティックな思想革命ができたわけであり、準備ができていないところに複雑な思想など根付くはずがないのです。これは”そったく同時”という禅語そのものです。
日本のほとんどの方が、『記・紀』が記す日本観をなんの疑いもなく信用していますが、エネルギーをクリアにし古代に入っていきますと、天神の世界というのは、『記・紀』が示す世界とはまるで違います。
日本各地に断片的に残されていますが、大地震で陸が没し、陸が現れたりしますと、それは天神の力と認識しましたから、当然、その天変地異に沿って、都は日本国中を縦横無尽に移動します。ほとんどの場合日本における都とは、いかに天変地異を治めるかが主眼であり、治められない場合は”祟り”という概念で天神の怒りを表現しようとしたのです。
ですから、神代の時代から畿内に都があり続けたと信じるのは、単なる文献主義に過ぎず、この国における神がなんたるかを理解するためには、文献(偏見)を廃して地形から神話を読み取ることが必要でしょう。さらに、これは単に日本だけの認識ではなく、世界各地においても天神や地母神は信じられていましたから、エネルギーを外側から洞察する単なる神秘主義には陥らないようにしなければなりません。
重要なことは現代に生きる私たちが、古代のエネルギー認識と同化し、それを取り戻すことにあります。
さて、その日ノ本国の祭祀ですが、弓なり(三日月形)の湾が今でも信仰される日本において、日ノ本中央の渥美-伊雑宮から西の九十九洋(現土佐湾)が月の神格化になったわけですけれども、秦氏の出身国も弓月国です。弓月国はキリスト教国であったとされています。月は太陽神・キリストの妻ですから、弓月国のキリスト教がローマから異端視されていたのは言うまでもありません。自分たちの国を捨て、渡った東方の国・日本でも後の世で異端視されてしまうことになるわけですから、酒を飲むしか逃げ道がなかったのでしょう。(秦氏は酒豪の種族)
秦氏が四国南西部に王国を築いたのもこのような理由があります。日ノ本国と秦氏が九十九洋を巡って争ったのも言うまでもありません。
また、日ノ本国には九十九信仰があり、未完の美学というものもありました。つまり百(桃)になる前が、最大・最長であるという美学です。完全な円になってしまえば、それは即、衰退を意味しますから、百になる前の99(白)が最も崇高とされたのです。
そのような土地に、白鳥(ゼウス)信仰と白馬(ペガサス)信仰を持った白人(秦氏)がやってくるとどうなるかというと、九十九=秦氏という構図が出来上がってしまうのです。これが俗にいう白人(シラヒト)信仰というものです。剣山系には顔を白く塗るお祭りが数ヶ所、残されています。
なんと言いますか、両者の信仰と風貌が絶妙に絡みあい、激しい戦争を経ずとも和解(誓約)が成立したわけです。月や女神が封印されたのはもっと後の世のことになります。
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ブログの更新も少し滞り気味になっておりますが、状況はめまぐるしく動いています。
頂く情報や巫女の方たちとのセッションの中で、今まで認識できていなかった古代群像というものが次々と明らかになってきております。
このレムリアンリゾナンスブログとは別に、それらの群像の具体化とローカル性の高い活動を補助するために、新ブログなどをいくつか構築するつもりでいます。
それらと全国規模の巡礼ネットワークを接続して、各地域の横のつながりをもっと密にしていけるシステムを構築していくつもりです。
まず第一弾は、アクエリアス安曇ですが、古代氏族・安曇氏にスポットをあて、それを取り巻く信仰や文化を掘り起こし、地域同士の文化的結合をはかっていきたいと考えています。
お金と神さまの関係で悩まれる方が多いですけれども、一番大切なことは、女性が自立できる経済環境を構築することです。女性が自立できる経済環境がある程度、確立されれば自ずとその経済市場は命が重視される市場になります。
現在の経済市場は、男性優位の『命をないがしろにし、強さだけを競うもの』になっています。地球規模で母性を取り戻すためには、まず貨幣を浄化する必要があります。当面はそれで対応していくしか現実的選択肢はありません。
スピリチュアル業界で活動している方々は9割以上が女性の方々で、この業界だけの収入で自活している方は全体の1割にも満たないでしょう。この割合を高めるために様々な活動をしてきましたが、男性優位の資本主義思想がはびこってしまい、今でもその火消しに手を焼いている状態です。
母性的な資本主義とは、三方良しの資本主義であり、日本経済思想の根本になります。それを日本人は忘れているだけであり、是非、椿大神社の松下幸之助神社にでも参られることをお勧めします。ちなみに細女本宮から坂を少しくだってすぐ隣にあります。
松下幸之助は晩年、無税国家を目指しておりましたが、私もこれは可能であると思います。単純に言えば、公務員が全て社会企業家になれば良いだけの話で、税金ではなく、自分で行政をサポートする活動を展開し、それで自活すればよいだけの話になります。これを妨げているのは物理的障害ではなく、単に、恐れや意識縮小の問題だけです。
先に述べた母性経済とは別に、山間部ではスピリチュアルコミュニティという社会主義的活動も展開しなくてはいけないと思います。そこでは特に貨幣のやり取りはなくてもよく、物々交換や地域通貨程度の価値交換で存立するパターンがあっても良いのではないかと考えています。
日本の貨幣の歴史はそんなに古くはなく、上代に作られましたが、廃れてしまい、平家の時代に宋銭が輸入され、それが国内の通貨になったりしました。その後は米になったりして、武田信玄が地域通貨をつくって、江戸時代になり、やっと全国規模で通貨が安定しはじめたという感じです。
江戸時代でも、里の人は修験者にはお布施や食べ物を与えたり(今でも四国88ヵ所巡りにはこの伝統が残っている)していましたので、必ずしも貨幣が全ての価値を決定したわけではありません。一律の価値観・一律の貨幣・一律の精神が植えつけられるようになったのは明治期以降であり、その構造というのは今でも、維持されています。人と違っていることにびくびくする国民性はこの頃できており、それほど歴史があるわけではありません。
それ以前は、人と違っていることを楽しんでいた共和国的要素もありましたから、幕藩体制やフランスのようにローカリティが全体を作っていくような政治・経済体制に戻さなくてはなりません。スペインのようなレベルにまでいってしまうと分裂がはじまりますので危険ですが、共和国的色彩を徐々に取り戻していかなくてはならないでしょう。
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上関原発建設計画への署名のお願い(インラケッチ便り)
日付は昨年になってますが、現在でも進行中の市民運動であり、時間のある方は少しでもご覧頂くと良いかと思います。Green Hearts Blog
昨年から、日本の原発では発電能力を高めるため国民の知らないところでひっそりとプルトニウム化が次々と進められており、発電能力が約2倍になったため、事故が起こった場合の被爆地域もそれに合わせて拡大し続けています。
排水の問題やリスク管理の問題など、原子力機構のデータ醸成の手法や論理には非常に問題があり、上関原発の強行を見ても裏で利益誘導があることだけは、はっきりとしており、一時の私利私欲の利益のために日本国の未来を犠牲にするのは、この上ない大罪と言えるでしょう。
私たち良識ある未来を憂う日本人が、さざれ石となるしかないかもしれません。ちなみに伊吹山はさざれ石の産地であるようです。気吹戸主(いぶきどぬし)の『風』も吹いていますね。
『君が代』の君が決して原子力にならないよう日本人は日本人力を取り戻していかなくてはならないと思います。
『君が代』の君は、大君(おおきみ)の君(きみ)であり、民衆の映し鏡のことです。
自分の子供たちを不安と恐怖に陥れる原子力発電所を一体、誰が望むのでしょうか?原発・ダム・国家負債は、持続不可能な負の遺産です。子供たちに押し付けないようにしましょう。
断層の上に建てられた原発もありますし、核弾頭なしのテポドン一発を原発に落とされるだけで原爆と同じ結果が生まれます。前回のテポドン発射では、迎撃システムを首都圏にしか配備できませんでした。原発のない首都圏に迎撃システムを配備してどうなるというのでしょうか?東日本・西日本の原発いずれかにひとつづつテポドンが命中すれば、3大都市圏全てが放射能に包まれます。昨年からプルトニウム化が進められてますので、2発から1.5発へと壊滅へ達する到達速度は早まっています。これだけを考えてもメリットよりデメリットのほうが大きいです。
外国の勢力が原子力関係者の中で暗躍している可能性は高いと言えるでしょう。
自己都合のデータ抽出と潤沢な資金力によって、落ち目のマスコミを買収して原子力発電所=温暖化対策というようなプロパガンダを展開しています。原発解体時のCO2排出を完全に無視したデータを元にしています。
さらに原発が無用の長物になるのは、稼動を停止した後であり、稼動停止原発の尻拭いをさせられるのは地域住民であることは目に見えています。
原発介護保険という法律が立法化されるかもしれません。
民主党は、『コンクリートから人へ』のスローガンを掲げていますが、原発は推進しています。
つい先日、設楽ダムの問題についても知りました。
設楽ダムの建設中止を求める会
ここでも『政治家とゼネコンの密約・賄賂→県議会に圧力→住民に道路建設というアメ』の構図が成立しており、単なるお金だけの密約が、住民のためのダム建設という大義に摩り替わっているのがよくわかります。国土交通省の資料は国民を欺くためのものですが、民主党は政権をとる前にこの欺きかげんのデータにも言及してましたので、どこまで改革できるかはこれからということでしょう。
しかし、政権交代だけでは、利益誘導的政治を終焉させることはできません。自民党から民主党へとストローの接続先が変わっただけだからです。
戦後55年体制自体を終わらせないといけません。『龍馬伝』を見るのもいいですが、現代は幕末よりもっと劇的な時代です。
近代政党政治の妥当性が失われ、グローバリズムが終焉し、ドル基軸が崩壊します。黒船が来航した時よりも、もっと衝撃的なことが次々と起こっています。
その激動の時代の中で翻弄されずに生きていくためには、しっかりと軸を建て、それぞれが集まり『さざれの意志』を持つことが重要でしょう。
『君が代』は、天皇を讃える歌ではなく、国民の結束を認識させる歌です。その象徴が天皇というだけで、専制君主的『君が代』を国民に植え付けたのは、原発を推進しているような国家主義者の人(人間よりも国家を優先する人)たちです。
私たちは、何を守り、何を子供たちに残していけるのかを真剣に考え、行動として示していかないといけないでしょう。
1滴の水は、なにものにもなりませんが、1滴の水でも長い時間をかければ岩に穴を開ける力を持っています。また、1滴では取るに足らない水でも大河となれば、あがなう事のできないほどの力になります。
良心という1滴の水を搾り出せば、それはあっという間に大河となるでしょう。瀬織津姫の力をさらに取り戻してまいりましょう。
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響の個人セッションでは、それぞれの方向性と目的にあわせた8回ワンセットの連続セッションを実施しています。魂の方向性を明確に認識し、軸建てを早めることはもちろんのこと、エネルギー認識が深くなれば深くなるほど起こってくるネガティブエネルギーの回避・防御を守護星・守護神・守護石などで行う講座なども含まれています。昔はこのシステムを産土神(うぶすながみ)と呼んでいましたが、現在ではこのような伝統も廃れてきたことから無防備でネガティブエネルギーにさらされる方も少なくありません。
守護神は必ずしも住む土地の産土神(うぶすながみ)である必要はなく、ご自分の先祖や魂のルーツにも求めることができます。守護神を知りご自分の元素的属性を知ると自分の役割が割りと簡単に見えてくるようになります。
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