アフガン戦争の際に、デモに参加することしかできなかった自分が非常に無力な人間だと思いました。
その後、ニューエイジ(スピリチュアルの前身)に参入し、『愛と光』で皆がつながれば、世の中は変わると思って活動しましたが、自殺者数や精神疾患に悩む方の割合は減らず、むしろ社会的な状況は悪化の一途を辿りました。
これではだめだと思い、日本的霊性をスピリチュアルという概念に込めてきましたが、むしろ日本的霊能力がスピリチュアルという認識になっている現在、挫折感を感じながら楽観的には活動しているものの、若い人たちの苦しみを聞きますと、自分の過去と重なる部分もあり、フラッシュバックしてしまいます。
自分も20代の頃は、自分を表現するということができず(むしろ人並み以下でした)、自分の内にある思いをどうすれば良いのかわからず、もがいていました。歌を歌うのが好きでしたので『屋根裏』とか『シェルター』とか、そんなライブハウスで歌ったのを覚えています。書き溜めた詩を表現したくて始めたバンドのはずなのに途中で投げ出してしまいました。自分のルーツを知らないままでは自分なりの表現ができないと気付いたからです。その後すぐに地元に帰り、働きながら神社巡礼などをしました。
私の個人セッションで扱う『ルーツ』というのは、こういうところから来ています。自分の表現をし自分の真実を生きなければ人は幸せになれないと思います。
遠い銀河の話や難しい次元の話をせずとも、自分の表現を獲得するという足元の事柄にさえ広大なコスモが宿っています。それが一言主や事代主であり、捨てる神あれば拾う神あり、と万物に神を感じていたほんの数十年前までの日本の信仰なのです。
自分もそれほど年寄りではないですが、若い人たちには自分の真実を生きることに希望を重ねて欲しいと思っています。
純粋なものや人に触れると、それらを連れて山に逃避してしまいたいと思ってしまいますが、有機農業を目指したものの振り子のように里へと帰ってきた過去があるので、できればスピリチュアル・コミュニティという新しいモデルで都市と山間をつなげる活動を、これからも続けていきたいと思います。
スピリチュアル業界内でもライバル意識や競争意識はありますが、100人いれば100人の道がありますので、焦らず自分と向き合って着実に進んでいかれればと思います。
他人の芝生は良く見えますが、芝生が生える同じ土が自分の庭にもあることを知って欲しいと思います。
人間は、誰しも何かを追い求めています。
今、歌いたいのはシェリーかな
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個人セッションやクオリアの準備などで忙しく、クリスタルの更新ができないので楽しみにして頂いている方には非常に申し訳なく思います。
巫女の方たちとの個人セッションでは、あまりにも濃密な情報と本質的洞察が行き来するので、それをまとめるのに手一杯で、このブログも更新が滞っています。
その中で、どうしても書いておかなくてはという衝動のものがありましたので、書いておきたいと思います。
『アグリ・あぐり』という言葉が、ここ2・3日強くなってきまして、先ほど抜けきりました。
最初はアグリカルチャー?、鈴木アグリさん?とか思っていましたが、日本での真珠採取は、主に阿古屋貝(アコヤガイ)からだそうで、このアコヤの語源が愛知県阿久比町(あぐいちょう)の古い地名・阿古屋にあるらしいのです。
アグイは愛知県東部の豊川の旧名・飽海(アクミ)とも渥美(アツミ)ともつながり、両者が安曇氏との関連も指摘されていますから、アグイはアマクイ(海クイ)「ヤマクイの逆」でもあるかもしれません。確かに海(アマ)を食って天(アマ)の星のような真珠を産み出すわけですからアマグイでもありますね。
また、アコヤとアグリは舌を巻いて(アクュルャ)と読むとアコヤともアグリとも聞こえて、これはスセリとサスラが(スェセゥレ)と舌巻きで同じように聞こえるのや、葛城とケツァルコアトルが(クワァツラ)の響きを持っているのと同じになります。詳しくは秦氏の20進法も参照してください。ちなみに平安時代の平家の読みもヘイケではなく、下唇を噛んで(フェイケ)であったと思います。(ヘイケではなくフェイケであったというところまではアカデミズムの認知領域です)日本の地方では未だに、この巻き舌系の発音をするところがあります。
さて、真珠ですが、台与『ウィキペディア(Wikipedia)』が中国に266年頃に朝貢したとされています。
卑弥呼の親族であった台与ですが、真珠というキーワードで解いてもその名前から解いても、四国と九州の間の豊後水道か、伊勢志摩、三河しかその出自はありえないということになるかと思います。
*****引用始め*****(邪馬台国の会より)
『倭の地は温暖で、冬も夏も・生(野)菜を食する。
(倭国は)真珠・青玉を(産)出する。その山には、丹(あかつち)がある。
・薑(しょうが)・橘(たちばな。または、こみかん)
・椒(さんしょう)・みょうががある。
父子や男女による (区)別がない。
人の性(情)は、酒をたしなむ。
盗窃(ぬすみ)せず、諍訟(うったえごと)はすくない。』
*****引用終り*****(邪馬台国の会より)
一応、上記が弥生後期の倭国の描写ですが
①温暖=黒潮ですし
②真珠=四国・九州・伊勢湾付近ですし
③橘=和歌山県、三重県、山口県、四国、九州の海岸に近い山地にまれに自生する『ウィキペディア(Wikipedia)』。ですし(厳密には自生可能な北限は西伊豆です)
④丹(あかつち)=中央構造線なので
自然と弥生後期の実像というものが見えてくると思います。この時代の都の最低条件としては、膨大な帆船をとどめて置くことのできる内湾と黒潮直結の外洋型都市です。
さらには、八面と安曇(Aquarius 安曇)でも書いたように、真珠・台与の濃い地域は、八面つながり、安曇つながりでもあります。
さらに大宰府-土佐-愛知県阿久比は、菅原道真-菅原高視(道真の子)-菅原雅規(まさのり)(高視の子)の菅原3代でつながっています。
菅原高視『ウィキペディア(Wikipedia)』については天満宮と北極星も参照。
菅原雅規(まさのり)は英比丸(あぐいまる)「洞雲院 -とううんいん-知多四国八十八か所巡り」とも呼ばれていたらしく、この奇妙な一致の裏側には、八面と安曇氏、そして宇佐神宮の源信仰である北極星信仰が隠されているのです。
この北極星信仰がなんであるかと言えば、宇佐神宮の大元信仰の三体妙見の真ん中の柱・ヒメ大神であります。これが伊豆の白浜神社のご神体でもあるので、明らかに邪馬台国は東遷していますね。
そしてその邪馬台国の後継大王が両面宿儺であり、八面大王であり、国巣・土蜘蛛であるというのは、ほぼ確実ではないかと思います。国巣(クズ・クルス)に関しては前回の記事聖母マリアと瀬織津姫などで詳しく説明しています。
また、纒向遺跡から出土した土器の49%が東海地方のものであるので、東海地方の人たちが纒向を造成していったというのが合理的な考え方であり、地政学的にみて、東海地方の人たちは西四国の勢力と同盟関係になければ豊後水道から朝鮮半島へ抜けられないため(鳴門・瀬戸内経由はありえない)、八面・安曇ライン(北九州・南四国・伊勢湾)は弥生後期の神話勢力であったであろうことも容易に想像がつきます。
ちなみに巻向の原型は、東にオシホ(ナギル湖面の太陽)、西に砥神(渥美半島)、北に中央構造線の”巻き”がある愛知県東部の石巻であり、弥生後期の帆船戦争の時代にも遜色ない地形があります。
しかもそこは、橘逸勢が承和の変で伊豆への護送途中に亡くなった場所でもあり、三ケ日みかん(橘)の産地でもあります。橘東端のメタファーが3回重なっています。
弟橘媛(おとたちばなひめ)『ウィキペディア(Wikipedia)』は、浦賀水道で入水したとされていますが、本当は浜名湖ではないでしょうか。古代の橘の東端が三ケ日であり、東からの太陽の光と西からの「みかん」が出会う場所が浜名湖であったのです。言ってみればみかんは大地からの恵みであり女神でもあります。本当の神話は、みかんと太陽が冬至の日に浜名湖で出会うというものではなかったでしょうか。伊勢神宮のハハキ神は、冬至の日の出・太陽神の復活を意味しており、みかんと太陽の逢瀬をも意味しているのではないかと思います。
美濃国二之宮の伊富岐神社(いぶきじんじゃ))『ウィキペディア(Wikipedia)』の社殿はちょうど浜名湖を向いており、浜名湖の西部にはアラハバキ『ウィキペディア(Wikipedia)』を祀る社も多く存在します。三河一之宮にもアラハバキ社があるくらいですから。なぜヤマトタケルが伊吹山の白猪に祟られて亡くならなければならなかったのか?その答えは、太陽神と「みかん」の女神との和合が果たされ、風が吹く時に日本人の心に蘇ってくることでしょう。
日本書紀が編纂されて、真実を主張していた最後の人たちが菅原家であったと思います。しかし、それ以降は民衆も抵抗できなくなり祟りと天神信仰が根付いたというのが内幕でしょう。
大地のメッセージを聞く人たちが急激に増えているので、この勢いは、もう誰にも止めることはできないと思います。
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大阪府南河内郡に金山古墳『ウィキペディア(Wikipedia)』という珍しい双円墳があります。築造年代が6世紀末~7世紀初頭なので、ちょうど古墳時代が終わる頃ですね。
前回、秦氏の20進法 でちょうどその時期はネストリウス派『ウィキペディア(Wikipedia)』が日本にも入ってきていたと書きました。
この6世紀末の古墳終焉期から645年の大化の元号が発布されるまでの期間は非常に重要です。
金山古墳のすぐそばには、楠木正成を輩出した楠木氏の氏神・建水分神社(たけみくまりじんじゃ)『ウィキペディア(Wikipedia)』があります。
建水分神社は、瀬織津姫を祀る神社では有名な神社です。金剛はニギハヤヒですから、瀬織津姫がセットで祀られたのは合理的であると思います。
同じ大阪府内には、天照大神荒魂として瀬織津姫を祀る御霊神社、そして兵庫には同じく天照大神荒魂として 戦前まで瀬織津姫を祀っていた廣田神社があります。
これらを総合して分析しますと、上代のある時期までは、ニギハヤヒと瀬織津姫はセットで祀られていたけれども、何かをきっかけにして、ニギハヤヒと瀬織津姫はひとつに融合させられ、天照大御神として祀られるようになったということになるかと思います。これが権力によって為されたものであるので、民衆は天照大御神荒魂は瀬織津姫という表記で抵抗したのだと思われます。
これは西洋におけるマグダラのマリアに経緯や構造が酷似しています。マリアが人間的に生殖しない※1と決定づけられたのは、431年のエフェソス公会議のことです。前回も書きましたが、この431年のエフェソス公会議で異端の烙印を押された人たちが、日本に入ってきたのが6世紀末から7世紀にかけてのことなんですね。
その頃、ちょうど日本では古墳時代が終焉して、ネストリウス派の古代仏教の時代に入っています。
皇極天皇の時に元号が定められ、皇極天皇は重祚して斉明天皇になっています。斉明朝ではローマのディオクレティアヌス朝に起こった宮殿放火と同じようなことが起こっており(その頃のキリスト教は多神教でした。つまりは、マリアが人間的にキリストを産むとされていた時期です)、斉明天皇が没した高知の朝倉の南にはウクルス山という斉明天皇の陵があります。ウクルスのクルスは、現在でもポルトガル語で「十字架」を意味します。日本人の中に眠る原始キリスト教に詳しく書いています。
キリスト教が日本を作ったということを言いたいのではありません。日本に入ってきた原始キリスト教は多神教ですから、現在のキリスト教は、全く別のものです。
何を最も伝えたいかというと、原始キリスト教は縄文・弥生と融合しましたが、そのわずか50年~100年後には、白村江の戦いで敗北し、縄文・弥生・古墳・原始キリスト教の文化が徹底的に封じられたということです。それが何によって為されたかといえば、国家という枠組みを狂信的に信じる念です。
邪馬台国が連合国家であるように、この国に最も適した政体は連合国家です。首都だけが繁栄する律令国家モデルや現在の霞ヶ関・永田町モデルは、幻想的モデルです。
①律令国家が建設された時
②大日本帝国が建設された時
③GHQによって戦後日本が建設された時
少なくとも、上記3つの時期に、日本の本来の祭祀である天白・太一、ニギハヤヒ・瀬織津姫祭祀は封じられています。権力にとっては民間信仰は常に敵なのです。(これは西洋においても日本においてもそうです)
アセンションとは、この封印を解く事です。
なぜならば、斉明朝では縄文・弥生・古墳・原始キリスト教やその他オリエントの宗教が融合し、ユーラシアの様々な民族・宗教が日本に息づいていたからです。現在の東京も世界中の文化や食を吸収し、世界に類をみないほどの情報のるつぼと化しています。これと同じことが斉明朝でも起こっていたんですね。唐自体がそういう構造を持っていました。(唐文化は中国が作ったと言って、中国自体はそれをあまり認めたがりませんが)
しかし、一極集中ではいけません。東京とおなじような文化のるつぼを日本全体に広げていかなくてはありません。地方では未だ、閉鎖的な雰囲気が強いところも多いです。6世紀末から斉明朝までの古代寺院全盛期は、現代の日本が進むべき方向を指し示しています。
戦争は、国家という幻想的枠組みを必要以上に意識することによって生じます。信じるものが同じであれば国家など無意味です。国境とは信じるものの違いの壁です。
北朝鮮と韓国の国境は明確ですが、日本と韓国の国境論争は徐々に深刻さは沈静化してきています。それは同じ文明・同じ文化を共有するようになったからです。封じられし多神教的性格を持つ日本のサブカルチャーは、世界では忘れられし文化として受容されています。
※1:マリアが人間的に生殖しないとは、受胎告知や上賀茂神社の縁起などのように、大地母神が神によって選ばれ、生殖なしで神の子を身ごもるということです。日本神話にもこのような話が盛り込まれておりますが、これらは全て431年のエフェソス公会議以降のことです。それ以前の日本の文化は、金生遺跡から飛鳥坐神社、修験道に通じる男性器・女性器を奉じる和合祭祀なのです。マリアは人間的に生殖してこそ神の子を産むのです。それが桃太郎なのです。それがネストリウス派の聖母マリアに対するスタンスなのです。
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八を分解すると五男三女の八王子。基本的には、ひふみが女子で、よいつむななやが男子。(入れ替わることもある)
八百万は、ヤホヨロズで八(や)+十(ホ=ト)+万(ヨロズ)。とにかく多いということ。八以上は数えなかったのは、九が九十九神の神聖コードで、十が桃の神聖コードであったから。
これは何進法とかいう問題ではなく、数字が10個しかなかったのです。しかし、そこには深い深い哲学的思考がありました。
そんな縄文世界に入ってきたのが、秦氏。はたと言えば、はたち。秦氏は20進法を持って日本に入ってきたオリエントか極西の信仰を持っていた中央アジア由来の人たち。
なぜ白山姫が白山に祀られ、それを秦氏が率先したのか?
それは日本古来のククリ(9=九十九神)が白山に立てられていたのを知って、十一面観音を祀ることによって、秦氏の聖数20にする必要があったからです。
20進法が最も残されているのはマヤ文明。英語にも20進法の痕跡が残っています。
おそらくマヤの20進法は秦氏の20進法が中南米で独自に発展したものでしょう。加茂氏や安曇氏はフェニキアと深い関係にありましたから、黒潮に乗ってアメリカ大陸に行くことは可能でしょう。また葛城氏は、クワァツラキですから、クワァツラクワァツル(ケツァルコアトル『ウィキペディア(Wikipedia)』)を持っていったのは彼らです。
日本で葛城氏が信仰していた鶴は白山を意味しますし、白山はククリと蛇を意味します。
アステカの最高神ケツァルコアトル『ウィキペディア(Wikipedia)』とマヤの最高神ククルカンは、日本の白山を取り巻く秦氏・加茂氏・葛城氏で全て説明できます。
なぜその氏族たちが中南米に移住しなければならなかったかというと、邪馬台国が東遷し最終的に蝦夷として、カカセオとして討伐されたためです。その時に常陸から、さらに東に向けて旅立ったのです。一部はもちろん残り、東北へと拡大しました。
秦澄の白山開山で初めて20進法が用いられたわけではありません。以前書きましたように、四国南西部の九十九洋・弓月国にきた時に、九十九を百にすべく何をしたかといえば、(フェニキア由来の)ヘラクレスの不滅の鉄鉾を祭祀して、百にしようとしたわけです。これが銅矛祭祀の根底にあります。
それで、日ノ本国との誓約が完成し、国常立が生まれてきたのです。おそらくこれが邪馬台国。
このときにハツクニシラスという大王が誕生したわけです。日ノ本国は各部族が音の祭祀によってつながっていただけの人間の集まりに過ぎませんでしたから(それでも日ノ本中央という考え方は存在していたと思います)部族長を表すシラス(九十九が統治する)と秦氏の西洋的なクニ・六合(天地東西南北)の思想が結合し、大同団結の大和というものが誕生したわけです。
マヤの20進法『ウィキペディア(Wikipedia)』には、5進法も隠れており、5は下の棒線で表されます。そして6は下棒線に上丸です。日本で年のはじめを元旦といいます。この元旦の『旦』は、地平線から日が昇ってくることを表したものとされています。マヤの6の表記と非常に似ています。なぜ12ではなく6を重視しているかというと、日本には元旦が2回あります。夏越の大祓いの6月末と12月末です。
このブログでも何度も6月末の元旦・夏越の大祓いの記事は書いてきました。そしてそれが瀬織津姫を含む祓戸4神と密接な関係があることも。
また、マヤの太陰暦の始まりは、春分の日以降に昇る最初の満月の日とされています。なぜ月と20進法を信仰していた秦氏が四国南西部に秦王国を作ったかというと、土佐湾が弓月形をしていたことはもちろんのこと、四国南西部の足摺岬に春分と秋分の前後3日間だけ太陽が洞門を通過するトオルマ(土佐清水市役所)という地形があるからです。春分と秋分の日の2日間に限りククルカンが降臨するチチェンイッツァのククルカンピラミッドの原型がここにあるのです。黄金のククルカンが岩のマをトオルて降臨するのです。
トオルマのすぐ近くには唐人駄馬というイギリスのストーンヘンジよりも大きいストーンサークルがありました。
いくら先進的な文化を持っていても暦がなければ作物を作ることもできませんし、イクサもすることができません。日本に渡来した民族がどのような暦を使っていたかで、ある程度のことがわかります。
チチェンイッツァのピラミッドは、秦氏の20進法と葛城氏の鶴、加茂氏・安曇氏(ピラミッド「神山」・蛇信仰のフェニキア)の融合で成し遂げられた構造物です。
加茂氏のピラミッド信仰は、高知県の鴻ノ森、愛知県東部の照山(この山も無残に破壊されました)、南伊豆の三倉山で全て説明ができます。上賀茂神社の砂ピラミッドは、その信仰を模して比較的新しい時代に建立されました。
このように全国に散らばっていた信仰を、中央集権化し、地方の宗教施設を壊滅させたのが律令国家の基本政策になります。
ケツァルコアトルもククルカンも、律令国家が始まる前に私たちの先祖が持っていた信仰です。
国家の呪縛からそろそろ目覚めないといけないでしょう。日本国ができて日本人ができたのではなく、日本人がいて日本国ができたのです。
岡山県倉敷市真宮遺跡(Celesteのあちこち巡り歩き)のマヤにつながるフェニキアの蛇とぐろ遺構なども非常に重要です。
自分の住まれている周りをつぶさに観察してみてください。重要な遺跡や聖地があるはずです。
自分の足で聖地へ赴いてください。大地から発せられる声無き声は失われた本当の歴史を私たちに教えてくれます。
地方の古代寺院の中には、古墳時代からタイムラグなしでスムーズに移行しているものが多く存在しています。(例えば高知県中央部の秦氏の巨大古代寺院・秦泉寺は古墳時代の幕開けと共に古墳のすぐそばに建てられました。これは下記のようなことが起こらなければ普通はありえないことです。古墳は王墓ですから、仏教であれキリスト教であれ、土を奉祀していた日本人にとって異教であることには変わりありません)
これは仏教が畿内から広がったという歴史認識をあっという間に覆してくれます。さらに言えば古墳時代は6世紀末で終焉しますが、ちょうど6世紀末の中国(唐)にはネストリウス派『ウィキペディア(Wikipedia)』が入ってきて積極的に活動していました。中国では大秦寺『ウィキペディア(Wikipedia)』と呼ばれました。日本国内にも秦と名の付くお寺がたくさんあります。これらは、ゆえにネストリウス派のお寺と考えるのが自然だと思います。
つまり、日本の古墳時代はネストリウス派の到来で終焉したということになります。弥生時代後期に卑弥呼が亡くなり、太陽神の復活を祈り続け(土は再生を意味しますから)卑弥呼の復活を祈り続け、土の古墳を作り続けていた信仰が根底から崩れ去ったのです。その大異変がネストリウス派の宗教をきっかけとして起こったのです。
ネストリウス派の信仰の何が日本人の心を揺さぶったかと言えば、マリア信仰です。ネストリウス派が、なぜ唐で活動を活発化させていたかというと、彼らは431年に異端とされ、極東に新天地を求めて流れてきていたのです。異端視された発端はマリアの位格論争です。彼らはマリアが人間的にキリストを産むとして異端視されましたが、これが日本の桃(10・戸・百)が火(日・1)を産むという信仰にぴったりとあてはまり、それまでの陰陽五行をすっかり忘れて舞い上がってしまったのです。これは戦争が終わると途端に西洋文明を受け入れ舞い上がってしまった戦後の日本の状態にそっくりです。
この日本人の特質は1万年後、10万年後も変わらないでしょう。
つまりは、卑弥呼の復活=土が、卑弥呼の復活=ネストリウス派のマリア信仰に移行したのです。これがいわゆる倭迹迹日百襲媛命 (やまとととひももそひめのみこと)なのです。
この後、610年頃に滅亡した古代ローマの後釜のギリシャ東ローマ帝国のキリスト教が日本にも徐々に流入し、ネストリウス派の地位が一気に低下していったというのがちょうど聖徳太子の時代になります。日本に入ってきた仏教は純粋な仏教ではなく、唐でキリスト教と融合した仏教なのです。
そしてこの女神が亡くなった箸墓はネストリウス派のマリア信仰が消滅させられたというメタファーなのです。
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スピリチュアル・コミュニティは、徐々に進んでいます。
新たにわかってきたことは、スピリチュアル・コミュニティは大都市近郊でしか成立しえないということです。
それは、なぜかと言うと、都市型スピリチュアルを体験し、エネルギーの基礎をつかみスピリチュアルに対して自分なりのスタンスを醸成できてない地域では、価値観の共有がなされないからです。
都市型スピリチュアルを持てていない地方では、スピリチュアルと聞くと霊能力型スピリチュアルを連想するようですが、東京ではそのようなスピリチュアルは全く流行ってませんし、それがプロパガンダによって生み出されている「マネーを出版会社や広告会社に集める免罪符」に過ぎないことをほとんどの方が、知っています。
このようなメディア・バイアス(メディアによってもたらされる偏見)を見抜くことこそがスピリチュアルであり、スピリチュアル・インテリジェンスであると言えると思います。しかし都市型スピリチュアルを持たない地方では、メディアに情報を頼るしかなく、非常に偏ったスピリチュアルが形成されている場合があります。
都市型スピリチュアルでは実際に、サロンでヒーリングやエネルギーワークが行われますので、それらはメディア型スピリチュアルではなく、口コミ型の実践型スピリチュアルなのです。
このような状況から、スピリチュアル・コミュニティというと、地方では霊感を中心とした新興宗教共同体をイメージされたり、さもなくば行政主導のハコモノ自給型共同体をイメージされたりで、遅々として進みませんでした。
しかし、今になってかなり有望な地域が台頭してきております。
ひとつは、①愛知県東部の豊川周辺部であり
もうひとつは、前にも紹介しましたが②琵琶湖東部です。
そして、もうひとつ可能性があるのが③大阪南部から高野山にかけての地域です。
これら3つの地域に共通するのが、大都市圏まで電車で1時間くらいのところにあり、第二地方都市みたいな位置づけであるということです。そして、古代に重厚な自然祭祀が行われていたことも共通項になるでしょう。
スピリチュアル・コミュニティが実現するためには、都市型スピリチュアルを理解する人たちがいて、自然を守る伝統的なスタンスが今も守られていて、その2つが融合していて、さらにその雰囲気を多くの若者が支えているという条件が必要です。だから、非常に難しい。
①の地域に関しましては、豊川で活動されている Earth to Life (アース ツー ライフ) というグループの方と連絡をとらせて頂きまして、徐々に準備を始めているような状況です。
②の地域も重厚な文化があり、独自に融合が進んでいますので今後の展開が非常に期待される地域であると思います。
③の地域は、最近フォーカスされてきている地域です。
これらの地域に共通することは、水の信仰と八幡信仰です。
①は、応神天皇の都(アクエリアス安曇)でも書いたように、大鞆和気命(おおともわけのみこと)の鞆の発祥の地が巴山にあるということ。
②は、日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)『ウィキペディア(Wikipedia)』があるということ。
③は、応神天皇陵の南に位置しているということ。
応神天皇陵から水鳥形埴輪が出土し、白鳥とも深く関わっているように八幡の復活と水神(瀬織津姫)の復活は同じ意味を持つのではないかと考えるようになりました。
八幡は秦氏と密接な関係があり、秦氏は加茂氏・葛城氏とも近しい関係があり、③の地域が兵庫(朝来市の池田古墳「5世紀前半」水鳥形埴輪最多の出土)・四国(日ノ本国と倭国の境界線)・九州(宇佐八幡)と東海をつなぐ地点に位置していることは非常に重要な要素であると思います。
①の豊川には、今水寺という吉祥天を祀る巨大寺院が吉祥山にありましたが、戦国時代の戦乱などによって衰退してしまい今では、その痕跡さえも見つけることが難しいほどになっています。
福井県の白山平泉寺も、長野県の戸隠神社もかなりの信徒を抱える巨大寺院だったらしいですが、今ではかなり規模が縮小しています。
水を守り水を活かす文明を持っていた日本人が、戦後一変し、水を汚すことに血道をあげて、私有財産を守るためにダムを作り、自然のサイクルを破壊してきました。
このような行為を糺す必要があるから、色々な人にメッセージが来ているのではないかと思います。水の信仰と八幡、スピリチュアル・コミュニティがミックスされてきているのは、必然中の必然ではないかと感じます。
行政がいくら水辺の保護を連呼してみても、水信仰の回復は難しいでしょう。私たちひとりひとりが古来の水神への信仰を取り戻さなければ日本の水場の復活は夢のまた夢の話になります。
瀬織津姫をもって工業化によって破壊された都市空間を水と近代との共生空間にしていかなくてはならないでしょう。
そして明治国家によって差別・圧迫されたサンカ・修験者などの移動生活者グループの復権も行っていかないといけないですし(水神は地方性を超える言語の役目を果たします)、教育格差の問題もスピリチュアル・コミュニティによって解決していかなければならないと思います。
水と山を守る(神母信仰)農民に農薬とトラクターを売りつけ借金漬けにし、薬漬けのきれいな形の野菜でないと買いとらないというようなマネーありきの農協が形作られたのは戦後GHQの介入があった直後のこと。
そして、その農民たちをゼネコン(総合建設業者)の下請け労働者に付け替えて、水と山を守らせないようにして、水からコンクリート(道路)へと転換させたのが戦後の60年の自民党政治の根幹。これによって日本の水辺は取り返しのつかないほどまでに破壊されました。
私たちの2世代前の先祖は、孫の世代(つまり私たち)を守るために戦って死にましたが、私たちの親の世代は自分の私有財産を守るために日本列島を破壊し続けました。文化を残さずお金を残そうとしてきた結果、文化もお金も失おうとしています。
日本史をつぶさに研究していきますと、戦後60年がいかに狂気的な時代であったかがわかります。その狂気さは他の時代とは比べ物にならないほど突出しています。ヨーロッパの人たちは経済力が高くても先祖から引き継いだ伝統を保護するのに大変な努力をしています。
日本の場合は、異様な反対が起こった場合を除いて経済合理性に基づいて環境破壊が時に政府の手によって粛々と実行されます。
最近の上関原発問題は、その最たる例といえるでしょう。
日本国の主権は国民にあります。政治家や官僚が主権を有しているわけではありません。政治家は国民の代表ではなく、国民の代理に過ぎません。国民が忙しいため政治を頼んでいるのが政治家という商売です。官僚はその下に付随している傭兵に過ぎません。そういう正しい認識をもつことが、よりよき社会を創るための第一歩になります。
ひとりひとりが明確な日本像を持つことが重要です。政治は国民のレベルを超えたものにはなりません。国会が証人喚問の連続になっているのは、明確な国家ビジョンを持って生きている政治家が誰一人としていないから、誰かを槍玉にあげて悪者に仕立て上げようとしているだけなのです。
朝青龍の件もそうです。光が見えなければ闇に覆われます。
アマテラス(光)を天岩戸から出すために八百万の神々は何をしたでしょうか?
今年の聖地巡礼は、音とダンスのマリア(副題)と称してそろそろ活動に入っていきたいと考えておりますが、少しスケジュールが過密で、もう少しお時間を頂くような形になるかと思います。
社会の常識や習慣などを激変させる活動に育てていければと思っています。
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