最近は、私より少し若い方からの深いテーマをもった問い合わせを頂いており、何か自分の過去のことも振り返るメタファーではないかと感じたりもしていますので、昔話など連続して書かせてもらっています。お見苦しい点がありましたらお赦しください。
特に何かになりたいわけでもなかったのですが、起業には興味がありました。それでも、学校を卒業して、いきなり起業して成功するほど世の中は甘くありません。とにかくどこかに就職しようと思いました。
2年間会社勤めをしてわかったことは、自分の住む世界ではない、ということでした。当時はアメリカ型資本主義である新自由主義が次々と日本に導入され、人間軽視の会社経営というものが『善』であるかのように、あちこちで吹聴されていました。
私の勤めていた会社は、パナソニックの下請けのような会社で、松下幸之助氏の著作は、会社の至る所にありました。そうじの時間などを使って、全て読みました。そんな素晴らしい著作をしたためている会社なのに、人間軽視の経営を実行しようとしていました。私は直属の上司に文書で抗議しました。私が何を言っているのかわからなかったのか、新入社員の分際で経営手法に口出しする必要はない、と思ったのかわかりませんが、そのことについてはあまり触れず、とにかく目の前にある仕事を片付けろ、といった感じでした。これは正論なので、私もそれ以上は追及しませんでした。
確かに、新入社員の分際で会社の経営に口出しすることなど持っての他でしょう。先輩社員にも『そういうことは一人前の仕事ができるようになってから言うことだ』などと言われました。それでも納得できない自分がいました。『じゃあ、その一人前と半人前の明確なラインは一体、誰が決めるのですか?』とか『それでは、会社で社会悪が実行されたとしても、一人前にならなければ、その悪を糾弾できないのですか?』みたいなことを言うと、その後は何も言ってきませんでした。
私にとっては、人間軽視の会社経営は”悪”だと思ってましたから、人道的立場から会社そのものを糾弾したつもりでした。しかし、よくよく考えてみると、会社はこのような思想的スタンスを争う場ではなく、経営者が打ち出す経営思想をロボットのように、ある種狂信的に支持する人たちの集まりであると思い至りました。
哲学書を読み込んでいくうちに自分が思想的人間になっていることに気付きました。まわりの人間と生きる世界が全然違うと思うようになりました。自分とは違う他の誰かのレールを生きていたので身体の調子も悪くなっていました。
仕事が一区切りついた時、成果主義導入に際して最初の面談がありましたから、直属の上司に「会社を辞めたい」と伝えました。「辞めてどうするんだ」と言われましたので、「思想家になる」と伝えました。上司は苦笑いをしていました。私も笑ってしまいました。色々と文句を叩きつけましたけど、良い人ではあったので。
専務とも面談して、自分のこれからの計画を伝えると、「お前はバカだ」と言われました。確かにそうだと自分でも笑ってしまいました。専務も笑っていました。入社する時も、目をかけてもらって、入社してからも飲みに連れていってもらったりしていましたので、お礼を言って、私の長い長いレジスタンスは終わりました。
本来、こういうことは会社に入る前に自分自身の中で突き詰めておかなければならないことではなかったかと反省したりしました。ただ、でもこういうことって中に入って体験してみないとわからないですよね、往々にして。
これらのことは10年ほど経った今でも全然、後悔していません。このブログで書いていることは、当時私が思っていたことと何も変わっていません。
妥協して自分以外の色に染まりたくはありませんでした。
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人に流されてた日々 そんな自分に「さよなら」♪
I believe myself 信じることで
全てが始まる気がするの
どんな色にも染まらない 「黒」になろうと誓った♪
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自分の道を歩むということは、常に内なる戦いの連続です。
”愛や光”は、その長い暗い戦いの中で闇の中に一瞬だけまたたく星の閃光のようなものではないでしょうか。
(絢香姫が言うところのあたたかい光かな)
どうか皆さんも自分の星に向かって歩んでいかれますように!
そして音を重ねていきましょう。
絢香姫の永遠の名曲「 I believe 」
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友達が就職活動している時に、私はと言えば、大学が御茶ノ水でしたから、隣の水道橋の東京ドームの前にあるパチンコ屋に入り浸ったりしていました。良い友達を持ちまして、私自身よりも私の将来を考えてくれている人たちが何人かいて、試験の模範解答をくれたり、スーツ姿でパチンコ屋に心配して見に来てくれたりしました。
でも、当の本人は、相変わらずSEIYUでバーボン買って、RecofanでCD買って、図書館で哲学書を借りて、家でテレビ東京のアニメを見るという生活を繰り返していましたから、普通でないといえば普通ではありませんでした。
ワーホリで1年、オーストラリアに行くから、一緒に卒業してやるよ!という友達まで出てきましたので、とりあえず孤立は免れました。
こんな私でもかろうじて生きていますので、優秀な現代の学生さんたちは決して、希望を失わずに生きていって欲しいと思います。
その時、ちょうどやっていたのがテレ東のエヴァンゲリオンです。エヴァが知られるようになったのは、かなり後になってからでリアルタイムで見ている人は全然いませんでした。まあ、そりゃそうですね、皆、就活しているんですから!
今、私がスピリチュアル活動で紡ぎ出しているエッセンスは、この頃のエヴァとか、図書館に入り浸って掴み取った西洋哲学だとか、その後のファイナルファンタジーⅩの世界だとか、禅寺を巡って手に入れた感覚とかが、ミキサーにかけられて出てきているような感じです。
一休みしながらでもエヴァンゲリオン(福音『ウィキペディア(Wikipedia)』)はやってくるようなので、皆さんも慌てずマイペースで良いと思います。
プロテスタントには福音派やリベラル派などがあり、私の宗教的スタンスはどちらかといえばリベラルですが、福音もありかなと思います。フランスでは特にアニメ・エヴァンゲリオンは受け入れられていますが、ヴァチカンにとっては危険な思想であり、日本の古代における北極星信仰に似ています。
福音が権力とシンクロしていれば、権力側は安心なのですが、権力以外のところから福音があらわれるとあっという間に権力が崩壊してしまいます。
日本でも天変地異の中の福音によって都が絶えず移動していましたが、その痕跡は、ほぼ消えています。リベラル派は、天皇の側近・御杖代などに代表されます。こういう様々な宗教的意識が失われてしまったのが大化の改新と言ってよいと思います。
私にとっての大化の改新は、かろうじて大学を5年で卒業して、卒業した春からのんびり就活を始めて9月に中途採用で就職できたことでしょうか。しかし、大化の改新はクーデターでしたから、様々な火種を私の中に鬱積させていきました。その後は、気が向いたら書かせて頂きたいと思います。
私は思いました。
私は私に還りなさい、と、それが私のスピリチュアル活動の原点です。
先の見えない時代だからこそ、内なる声に耳を傾けてくださいね。
私に還りなさい 生まれる前に
奇跡はおこるよ 何度でも 魂のルフラン♪
高橋洋子さんの「魂のルフラン」をエヴァ動画で
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その後、ノリノリであったのですぐ近くの花園神社に抜けられる遊歩道沿いにあるバーに行ったのですが、そこに中年のアメリカ人男性がきていましたので、絡んで当時のアメリカを彩っていたブッシュ・ドクトリン (Bush Doctrine)『ウィキペディア(Wikipedia)』が、どれほど間違っているかを延々と説教させてもらっていました。
私の英語が通じないのか、彼はニコニコと笑っていました。でも、バーのフィリピン人の女性店員が、時々、通訳に入ってくれていたので大筋は伝わっていたと思います。
でも、そうこうする内に、そのフィリピン人の女性店員が、「あなたたち日本人も、太平洋戦争でアジアに同じことをしたんだよ」とかいうもんですから、私の中の女性性でブッシュ・ドクトリンにともなうアフガン・イラク戦争などに反対してたものの、私の中の男性性に火がついて、大東亜戦争はアジアを守るための戦いだったとかそうじゃないとかで、言い争いになっていきました。
ニューハーフの店でノリノリに出てきていた私の女性性は身を潜め
Japan As No1 の男性性が首をもたげました。
その後は、無性に腹が立ったので、バーにちょうど入ってきたチンピラ5人衆をつかまえてテキーラの一気飲み勝負をし始めました。
テキーラは、テキーラ・サンライズというカクテルもあるので、サンライズ、つまり、『日はまた昇る』の日之本を表しており、けんか飲みすることによって男性性を鎮めようとしていました。(すごいメタファーです)
しかし、気が付くと遊歩道の端に倒れこんでいました。朝でした。「戦艦大和」は、あえなく轟沈。男性性の行き着く先というのは、いつの時代もこうなのでしょう。
それ以降6年ほどお酒を止めました。
第二次世界大戦時の日本も、最初は、アジアを西洋の植民地主義から守るためのものであったにも関わらず、途中からは、そうではない部分も多々出てきました。
満州国の五族協和(あらゆる民族の調和)の理念は、その崇高な理念とは裏腹に、民衆に酷い支配を強要している部分もありました。
本当は、母性からの戦争参入であったにも関わらず、後半は男性性が強く出て、破滅するまで突き進んでしまいました。
歌舞伎町での私の体験は、まるで日本が辿った道を一日で体験する天国と地獄のような1日でした。
しかし、私が轟沈した朝も、日は、また昇っていました。
ちょっと話が重くなりましたが、タントリック・セクシャリティ(仮)という「男性性・女性性を哲学的、エネルギー的に追求するセッション」を始めたいなと思っています。
これは、男性の中にある女性性を拡大させたり、女性の中にある男性性を拡大させたり、それらを性交換したまま逆の立場に立ってお互いを認識してみるというもので、この性転換の中にかなり深い愛の泉と言いますか、クンダリーニがあることがわかってきています。その大部分のエネルギーが瀬織津姫に継承されていますね。
よく知りませんがヒンドゥー教の極限はこれであると思います。全国の男根石や女陰石を踏破していた修験道の験(しるし)も、おそらくこれを意味していると思います。英語でいうとsignですね。前回のテーマでした。
恋愛の極限である”普遍とは何か?(薄れない愛・壊れない愛など果たして存在するのか)”というテーマから哲学に入った自分にとっては、”性の超越”というのは、非常に大きい哲学的テーマでもあります。男性性と女性性という肉体的・精神的束縛から完全に脱して中性に入って、愛し愛されるのエネルギー循環を天神と直接すれば、それがニギハヤヒとかケルビムのエネルギーになると感じているからです。
でもそのエネルギーと同化するかといえば、しないと思います。やっぱり人間的なことを楽しみたいので。これをヴァチカンでは”堕天”と呼ぶのでしょう。
男の人と女の人が出会って、お互いに知り合いたいとか惹かれ合うエネルギーというのは、すごいエネルギーであると思います。男性性を出して言えば、「そのメカニズムを解明したい」と思いますし、女性性を出して言うと、「その愛に溺れたい」って思います。「この世界のメカニズムは、私があなたを好きっていうことだけ、そしてもうひとつ今から付け加えたいメカニズムは、あなたが私を好きになるというメカニズムよ」なんていうのもありかと思います。
シャーマニック・カスケイドを始めるにあたり、1年前に日ノ本国のシャーマニック・エッセンスということに言及していましたが、まさに上記の”性の超越”が、日ノ本国の根本的な宗教認識であり、ヒンドゥー教に継承されているインドの音の文明と連動し、ヒメ・ヒコ制というものが実現されていたように思います。
愛知県東部に男川(おとがわ)と乙川(おとがわ)があります。音が男と女の両方の意味を持ち、乙は海底の乙姫につながっています。
男神(おがみ)は「天へ拝む」であり、上昇エネルギーを意味し、女神(めがみ)は「天からの恵み」であり、下降エネルギーを意味します。上昇エネルギーは射精のエネルギーであり、噴火やクンダリーニを意味します。下降エネルギーは月経のエネルギーであり、雨やそれによる洪水、隕石落下などを意味します。
天から下降した女性エネルギーが最終的に海底の竜宮城(乙姫)に留まるという考え方は非常に合理的です。
シンクロニシティという点と点がつながり
男性性と女性性という線と線が結ばれる
やがてみんな海の底の竜宮城へ帰るよ~♪
hikaruちゃんの祓戸の力を持つ名曲 Deep River をケルティックな歌詞で
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根の国が動いているとか、傷付いた男性性とか、気になるキーワードを頂きました。
私の中では、昨晩大きな発見があり、自分の心の中に女心があることがわかり、色々とまたノスタルジックになっていました。
ある方から、伊勢二見浦の夫婦岩の沖合いの神体岩のことを聞き、どんな形のものか全くわからないんですけれども、それがかなり大きな立石で、ミチシキタイジン・ミチシキタイジン『道敷大神(みちしきたいじん)』と、どんどん響いてくるのです。ひょっとすると満干大神(みちひきたいじん)かも
この道敷大神(みちしきたいじん)がなんであるかと言えば、たぶんククリヒメに代表される中性の神なんだと思うのです。(猿田彦と習合した神にそういう名前のものがあったような気がしますが、調べても出てこないのです)
だから、特に中性的な要素を持っている方々に、男性には女性的要素を女性には男性的要素を突きつけているのではないかと思いました。性をひっくり返してなんかをやろうとしているんです。
自分も、とても大変で女子にセーラ服を借りて女装して悦に入った経験とか、看護婦コスプレで街に繰り出した記憶とか、ニューハーフバーで執拗にスカウトを受けた思い出とか、ひとつのストーリーで出てきたりしています。
そういえば、8年程前に受けたセッションで、身体の半分が火で、身体の半分が水だったので、そういうことなんでしょうね。うちの母親は私にユキコという名前をつけていて産まれる前は、女の子とばかり思っていたようで、小学校に入るまで長髪にされてましたし。
その割には、保育園No1だったガキ大将を1対1では勝てなかったので仲間と砂場で袋叩きにしてNo1の座についたのを覚えているので、男性性も強かったと思います。
おそらく、男性と女性と、もうひとつ中性という性が古代確立されていたように感じています。
それにシンボルがあったように感じますが、出てきそうで出てこない。
ヤタガラスかな?いや、う~ん、違うかな、、、、
片思いの子を思って泣いていたのも覚えていますね、モテなかったわけではないので、都度、妥協すればよかったんでしょうが、そこは譲れなかったんだと思います。
結局、男子・女子に分かれてセクシャリティを認識しあうという根の国から沸きあがってきているエネルギーは、大人になるうちにまとってきた地位とか名誉とか、殻とか防御服を脱ぎ捨てて、接し合おうとかいうことではないでしょうか。
大人になると、年収はいくら、だとか、家柄はどうだ、とか、結婚と恋愛は違う、とか(笑)、そんな思考が先行してしまいますけど、じゃあ、明日大地震で日本列島が壊れるとして、あなたは何を選択しますか?ということじゃないでしょうか。
根の国のエネルギーは、今、そういうことを言っているんですね。ちょっと怖いですけど(笑)
道敷大神(みちしきたいじん)が道を敷いて、道ができてたらサスラ姫が海底から上がってくるんでしょうか?二見の夫婦岩の沖の神体岩は海底に沈んでいるらしいですから、海底から何かがくるっていうメタファーですよね。海底で何が起こっているんでしょうか?
やっぱり怖い。いや、恐れずダンスしよう。アメノウズメがそうしたように!
とりあえず僕の女心を表現しておこう。
BENI / サイン
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ご返信をお待たせしている方、本当に申し訳ありません。
これもどうしても書いてしまわないと衝動が消えてしまいそうなので書きます。
今年の巡礼のテーマは『音とダンスのマリア』なのですが、その前にイザナギ・イザナミの結合という前提があります。この対神の結合によって今年の神の世界は彩られるということです。
これは巡礼グループの発表の時に書こうと思っていたのですが、たぶんまだまだ先になるか、もしくはそうこうするうちに今年が終わってしまいそうなので、ここに記載します。
白山をアメノコヤネの頂点として、屋根がかかったわけですけれども、そこに昨年末、一本御杖が建ちました。それが何を意味するかといえば、東をイザナギ、西をイザナミにした巨大なアイアイガサができたわけであり、今年はセクシャリティ全開の年になります。
これを前提として3月から非常にコアなエネルギーが降ってきており、私もそれに飲まれそうで、ここ数日は非常に感傷的になっています。それが多分、原因であると思います。自分でもよくわからなくて、ロゴスとミュトスで書いたようにミュトス的性格(詩人的性格)が強く出てくるようになってきています。もうすぐしたらこのブログも詩だけになるかもしれません。
男性性・女性性の統合は1昨年から出てきているキーワードですが、実際にそれがどういうことなのか、ということを男子の部・女子の部にわかれて、それぞれが今年、体験することになるでしょう。
この際に、個人主義的な枠は取り払われ、男子・女子の如何に関わらず、それぞれがもっとフランクに愛し合い、協力し合い、尊重し合うというような非常に大きなうねりになっていきます。
西洋から流入している男子と女子の垣根を消すあり方ではなく、男らしさ・女らしさとはなんなのか。あるいはそれでお互いを補完しあうことによって強く生きられるイザナギ(凪)とイザナミ(波)の本質を知っていくことになると思います。
『より美しく、より楽しく、より自由に』
オスとしての志向性、メスとしての志向性、より本能的なセクシャリティを意識しながら神話の世界へと突入していくのだと思います。
Micro / 踊れ が、今の心情に近いかな
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