断定口調の文章も少し行き過ぎている部分もあると思います。誰も通ったことのない橋ですので、推測ではなく、どうしても断定で積み上げていくしかなく、断定の連鎖で仮定を導き出し、その仮定を検証して余分な肉を削ぎ落としていく作業を日夜繰り返しているので、このブログを見てくださっている方には、一体何を書いているのかわからない部分もあるかと思います。
そこの部分についてはほんとに謝らないといけないと思っています。申し訳ございません。
これからもわからないこと・私の人間的な部分で不備がある場合などがありましたらご意見頂けますとうれしいです。特に批判して頂けますと励みになります。
自分だけの意見が唯一の真理だとは思っていなくて、頂上へ昇るためのひとつのルートであるとしか考えておりません。これまでもそうでしたし、これからもこのスタンスは変わることはありません。なぜならこの部分は自由意志に関する根本的な部分だと感じているからです。
皆さんそれぞれの世界解釈、世界認識で開かれる世界というものを目指しています。そこにこそ多様性があると感じます。
どうぞこれからもご批判頂けると助かります。批判するというのはそれだけ真剣ということですし、批判精神には文明を進ませる原動力が秘められていますのでどうぞ今後ともよろしくお願い致します。
このブログを見てくださっている方には、そういうことを感じている方も多くいらっしゃると思いますので記事にしました。
† 月弓大神 †
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※ユグドラシル※なんですけれども、結論から言いますと”光の一之宮”であることがわかりました。古ノルド語で Yggdrasill なんですけれども 名前の由来は、はっきりしていないらしく、日本語で結構解けます。
Ygg は、一宮(イッグ)です。つまりお宮さんの頂点という意味。高知県の土佐神社、愛媛県新居浜市の一宮神社、壱岐市の一宮神社などにその名残があります。私の周りのお年寄りはイッグジンシャと呼んでいます。昔はどこもイッグと呼んでいたのではないでしょうか。おそらく”宮”も元々はグ・クでしょう。ミヤは比較的新しい読みでしょう。それぞれの地域の中で頂点に立つお宮を一宮、そう呼んだのではないでしょうか。
drasill はおそらく、du Rasiel とか ciel の意味があって、おおまかに天とか光とかを表していると思います。
天使※ラジエル※が、その特徴をよく表しています。
古ノルド語 ⇒ y gg d rasill
英語 ⇒ the egg of Rasiel
日本語 ⇒ 光(天) の 一宮
ygg の gg は99でもありククリヒメでもあります。※クク※は木を表します。そして y は1。つまり ygg は、一本の木という意味であり、世界樹(ユグドラシル)のことではないかと思います。
それと同時に ygg はククリが坐ます宮、つまりカクリの宮(三省堂)をも表しています。
そしてy(1)+gg(99)=百(100)桃も表していて、かなり深いものがあります。つまり一宮という言葉自体で百を表しているということです。
トリプルミーニングですね。
ygg はまた、egg の語源にもなったとも思われ、桃が割れて中から桃太郎が出てくることと、卵を百(ygg)とした西洋人の思考回路は同じであると思います。
土佐弁では未だに家のことをクと言います。万葉集でも隠国(こもりク)などの言葉が出てきますが、これは元々、私たちの祖先が木の中に住んでいた感覚の名残ではないかと思います。
結局、”木”と”気”が同じ音を持つのもユグドラシルの思想が入ってきた時にうまく融合されたのではないかと思います。
例えば、小村神社などはご神体は古墳時代の太刀なんですが、本殿後ろのボタン杉もご神体のようになっていて、神主さんがその根元から銅矛を掘り起こしたんですね。つまり本殿裏は弥生時代からの祭祀場で、既にボタン杉があったか植えたかわからないですが、ここにはユグドラシルの思想が確かにあるんですね。
先日、春日大社に行ったのですが、本殿斜め後ろに小村神社のボタン杉によく似たボタン杉がありました。
それと面白かったのは春日大社摂社の水谷神社。ビャクシンはイブキっていうんですね。驚き。ボタン杉はビャクシンに似てますし、私が気持良いと感じる三体妙見の白濱神社や近江最古の白鬚神社にもビャクシンがあるんですよね。だからやっぱり春日大社も気持ちよかったです。やっぱりイブキド主がいる社は良いですね、、、
屋久島の縄文杉を除けば、日本最古と言われる高知県大豊町の大杉ですが、スサノオが植えたと伝えられていて、だいたい樹齢3000年ほどと言われています。ちゅうど縄文晩期なんですが、この大杉から南西方向の居徳遺跡から日本最古の戦傷人骨が発見されているんですね。
うるし 縄文と弥生/是川遺跡ジャパンロード 漆の道(東奥日報)
しかも居徳遺跡からは特異な木胎漆器も発見されていて、それが当時文化の中心だった東北北部の亀ヶ岡文化と外来の文化の習合した形ではないかと推測されていて、おそらく戦傷人骨はそのような文明の衝突の中で起こったのではないかと考えられるわけです。
大豊町の大杉と小村神社を考慮に入れれば、おそらくユグドラシルの思想が入ってきていたとすればこの頃でしょう。北陸にはウッドサークルの文化がありますから、ひょっとするとそれともつながるかもしれません。
また、一宮があるなら、ラシルも日本語にあるはずだと探しましたら、ありました。
d rasill は、デラシルで照らすの元にもなっていると思います。
すなわち y gg d rasill (ユグドラシル)をわかりやすく書くと”一宮照らしる(イッグデラシル)”です。これはタルタルにもつながってくるでしょ?
すなわちアマテラスは、Ama d rasill (アマデラシ) なんですね。
先日、夏至ゆえにロゴス ~金星の顔面通過~記事で『要するに、葛城のアフロディーテが入ってきたときに、物部氏は太陽と月の陰陽道の祭祀をしていて、女神は月と決まっていたから、葛城と忌部にギリシャでの月神の名前を聞き出したんですね』と書きましたが、ちょっと違うかもしれません。
大豊町のすぐ南には、五百蔵(いおろい)とか日御子とかいう地名がありまして、武器庫とアマテラスの地名があるんですね。しかもそこは物部村(モノベソン)なんです。ということは時系列で考えると、太陽と月の陰陽道が入ってくる前にユグドラシルの思想が入ってきていて、光の一宮(ユグドラシル)が、より日本的なAma d rasill (アマデラシ)に習合していた可能性すらあります。
こう考えると、非常に深い宗教意識が日本にあって、弥生時代を通じて世界中のあらゆる宗教を吸収してきたのがわかりますね。
その中でも、北欧のこの世界樹の思想は日本の弥生時代に深く影響を与えたと思います。誤解を恐れずに言えば、弥生時代そのものが世界樹の思想によって開かれたと言っても良いかもしれないのです。
縄文もケルトも、この世界樹の思想と共鳴しやすいんですね。八が最大を表していたところに九(世界樹)が入ってきて、その後、十(※ディケイド※)が入ってくる。順番的に言うと、やはり世界樹はかなり早い段階で入ってきたと考えられます。
これから徐々に煮詰めていきたいと思います。
※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
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サッカー勝ちましたね。今、録画で見ています。大阪の本田、つまり※ホムタワケ※(本田別)が出てきています。ホムタワケは弓矢八幡。今日、月弓のブレスをUPする予定です。そして明日は、満月が欠けながら昇ってくる部分月食の日。そしてグランドクロス。
孤の意味、火の意味が、日本人の中に思い出される。
孤は狐に似ている。つまりお稲荷さん。イナル、ウナル。
ホは、火であり、日であり、穂であり、帆。
白山から真っ直ぐに降りる心の御柱の支える2つの帆。ひとつは豊川稲荷に、もうひとつは伊勢湾を挟んでどこか?帆を張ったときに舟が進み始める。なぜかユグドラシルの三つ枝が浮かんでくる。九つの世界が出てきている。
火(日)が弓につながり、弓が月につながる。まるで今週はじめの太陽が最も高くなる夏至、そして明日の満月月食へとつながるストーリーを見ているよう。
本田別(弓矢八幡)から放たれたシュートは、孤を描いてデンマークゴールに炸裂した。ほんとに少ない隙間、月で言うところの欠け、特別な意味においては月食の部分に吸い込まれた。ボールは無回転。一瞬落ちた、ドライブシュート。振り下ろした足は左(日足)。日が月食に孤を描くドライブシュートでストライク。そして本田別は金の稲穂(金髪)も持っていた(笑)
デンマークゴールをこじ開けた左斜め45度の辰己の角度は冬至の日の出のライン(正確には違いますが(笑))。それはハハキ信仰。ゴールを蹴る瞬間、アラハバキが本田別についた。私には見えた^^;
兎(ウサキ)は、どこにいたか?最後の3点目は、金の稲穂(金髪の本田別)から陸(おか)のサギ(白鷺)であるオカサキにボールが渡り、試合が決まった。そして餅つきが始まり、鏡は開かれた。僕たち日本人はひとつ年をとった(※年神※)。
日本書紀異伝には、こう書かれている。
******※ツクヨミ※項から抜粋****
伊弉諾尊が左の手に白銅鏡を取り持って大日孁尊を生み、右の手に白銅鏡を取り持って月弓尊を生んだとされる。
******※ツクヨミ※項から抜粋****
これは日ノ本国の神話。日ノ本国は銅鐸。日ノ本国はフェニックス。日はまた昇る。冬至ラインから射抜かれた日足(左足)は金の稲穂を伴い、白鷺(白鳥)が海を渡った。月からアルテミスが戻ってくる。アルテミスが射抜いたオリオンも3点という数字で戻ってきた。アポロンはもう怒っていない。
一昨日、夢を見ました。
大きい湖で舟に乗っていました。岩礁などがあり、湖岸に到着し湖畔を歩いていますと神社がありました。豊火神社という名前が書かれていました。なんて読むのかと質問すると『トヨユラ神社』だそう。
火をユラと読むとは思いつきもしませんでした。おそらく、炎が揺らぐので、そう呼ばれていたのだろうと理解しました。しかし六甲山もユズルハダケで譲り=揺すり=百合でつながっている。
そして昨日、デンマーク戦勝利で日本が揺れた。揺すりは地震だけではなかった。皆が同じことを願った。そして揺れた。やはり日本人には、アナハタ・ナーダ(Anahata Nada 非物理的な音)というヒンドゥーの哲学が隠されている。この哲学も日ノ本国。日ノ本国は縄文+フェニキア+ヒンドゥーの三つ巴の音文明。
この無音の音は、必ず有音につながる。つまりフェニックスっていうこと。
豊受大神は火の神か?そして誓約とは受火ではないのか?誰から誰にユスルハが行われたか?
清酒巡礼で書きました エビはエビス?論で素晴らしい情報を頂きました。かっぱえびせんにエビスさんが乗っているバージョンがあるようです。すごいインスピレーションを頂きました。ありがとうございます。
私の中でエビは恵日。これがどうしてもオオヒルメとつながってしまう。なぜでしょうか。そしてサニハの日にもらったミカミにつながる。ミカミ(三上)は、メカビでありメグビ、エカビ。浜名湖には三ケ日(みっかび)、琵琶湖には三上山がある。
そして六甲山麓には神功皇后が影を映した池が過去あり、それが御影(メカゲ)。オオヒルメの名前は今でも残っている。
静かな湖面に映る太陽。それを押照(オシテル)という。私が夢で見た豊火神社のご神体は、湖の真ん中に祀られた炎。これがイザナギではないのか。そこにエビ?(笑)
厳島神社の祭神も本当は火の神ではないのか?弥山が多くを語ってくれる。
大和の火が灯り始めています。サッカー日本代表は4年前とそれほど技術的に差があるわけではりません。しかし、それでも勝てるのは、魂のレベルで、我々日本人の芯が建ち始めている証拠。国とは何か、民族とは何か。
欧州は、ギリシャ危機なども含めてアイデンティティを失いかけていて、それがW杯サッカーにも暗い影を落としています。
しかし、サムライブルーはギリシャブルーでもあります。EUの完成形は大和にある。それを私たち自身が認識していくことによって世界は救われる。
日本は債務不履行に陥ったギリシャの2倍以上の負債があります。なぜ日本が債務不履行に陥らないかと言えば、国債を販売する方が、『国は絶対に潰れない』と言っているから。でも本当にそうか。実際にギリシャの債務は不履行です。
この意味を日本人ひとりひとりが理解した瞬間に日本はデフォルト(債務不履行)に陥り、銀行は預金封鎖、ハイパーインフレは貨幣を紙くずに変えてしまいます。そういうところまで来ているのです。自分だけが成功するなどという未熟なことをやっていてもいけない。
あと2,3年で債務不履行は必ず起こります。しかし、その時にファンダメンタルズ(基礎)が建っていれば立ち直りは早い。それが大和の火。
火は広がり、日も広がり、穂を広がり、帆も広げる。88の末広がりだ。そして三上山近くの大岩山から出てきた日本最大の銅鐸も音を広げる倍音。そして※倍音※も揺らぎ。
新しい経済の、新しい国体のビジョンが共有された時、火が灯る。
進んで明かりをつけましょう。
力まず頑張れ日本、頑張れ日本人。
第4講:邦楽に親しもう(だから何やねん)には、第2倍音以上の音のことを甲(かん)と呼ぶ。と書かれている。甲高いの語源だ。確かにマリアはひとつ上のバイブレーション。だからこそ甲山、六甲山はユスルハ、つまり羽根が揺すっている。羽根が揺すられる音はハイオクターブなのです。
またこんなことも。
************引用はじめ****
平安遷都直後の797年に、日本書紀の続編として作られた「続日本紀(しょくにほんぎ)」という歴史書に、和銅6(713)年の事件として、次のような記述があります。
……銅鐸を長岡の野地に得て、之を献ず。高さ3尺、口径1尺、其の制、常に異にして、音、律呂に協ふ。……
(原文は漢文)
つまり、長岡で出てきた銅鐸は、見慣れない異様なものであったが、音を鳴らしてみたら「律呂(りつりょ)」に協(かな)っていた、というのです。
「律呂」は「呂律(りょりつ)」とも言い、さらになまって「ろれつ」とも読まれます。そう、「ロレツが回らない」という時の「ロレツ」の語源なのです。
では「呂律」とは何でしょうか?これは「呂と律」という意味で、「呂」「律」というのは、西洋音楽の「長調」や「短調」の区別にあたる「旋法」の名前です。おそらく銅鐸は複数出てきたのでしょう。で、それを並べて鳴らしてみたら、きちんと音階になっていたということだと思われます。
************引用おわり****
つまり8世紀の人が弥生時代の銅鐸を発見し、音を鳴らしてみたところ、正確な音階で作られた銅鐸にびっくりしたということです。銅鐸を作っていた音の文明人は突如として日本から消えています。
しかし、聖地を巡り、しっかりと分析すればその文明の中に入ることができる。音の文明・水の文明・共存共生の文明・母系の文明。それを私たち日本人は今、取り戻さなければならないのです。
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朝から文字を書き続けていて、一体何文字書いたかわからない状態で、メールでのお仕事のご返信、ミクシィでのご返信、SNSも3つ所属していて市民活動やお仕事のご返信、そしてブログ、とtwitterも増えて、頭の中で仕事なのかプライベートなのか、市民活動なのか、スイッチの切り替えが多くて、切り替え部が壊れてきたように思います(笑)お見苦しい点がありましたらお許しくださいませ。m- -m
そんな中、ブレスが完成したのですが、先週からアルテミスのメッセージがどんどん来ていて、ツクヨミの神名でもらっていたのですが、出てきたのは金星でルシフェル。
夏至なので太陽神かと思っていましたら、太陽に先立つ明けの明星が出てきました。
サイから始まって、サタ、そして道敷大神。ほとんどの謎が解けました。
サタはミカエルであり、サルタヒコ。これは西。
それに替わって、ルシファーは明けの明星であり、これもサルタヒコ。
サルタヒコは道開きの大神であり、天地を照らす者。
そしてサルタヒコはプロメテウスでもある。プロメテウスは火を人類に与えし神。太陽が出てくる前に出る明けの明星は、まさに※プロメテウス※(pro(先に)+metheus(考える者)であり、【先見の明を持つ神】)
ミカエルとルシファーは昔、ひとつだったようだ。それがルシファーだけが堕天した。なぜか?太陽神がキリストとして堕天したのに、ルシファーだけが天にいるのはおかしいからです。
しかし、日本ではキリストが堕天する前の信仰が残っており、ミカエルとルシファーが合体したサルタヒコが今も信仰されている。
ミカエルは、賽(西)の河原を越えて、西方浄土のあの世のマリアに付き添う※エリュシオン※な天使。エリュシオンのフランス語読みはシャンゼリゼ。アメノマリアの副題は、リエゾンしないシャンエリーセ・ネットワーク。
ルシファーは堕天していない。そして阿弥陀如来はいる。昨年の5月、11月、今年の2月、4月とメッセージをもらい続けてやっと答えが出た。これこそ瀬織津姫。
アミタバ・アミタバの声が聞こえる。マクタラ・マクタラの声も聞こえる。
ケルト神話の※女神ダーナ※を見て欲しい。
「dhanu」の名は「swift(迅速さ)」という意味を元来持つと見られる。
これこそ、ユーラシア一体に存在したマリア信仰であり、瀬織津姫信仰。マリアは swift という神格を失っているが、瀬織津姫は未だ持っている。これが恐ろしく古い信仰であることを物語っている。
そしてそれが西洋で言われるところのエリュシオンや、※ティル・ナ・ノーグ(Tír na n-Óg)※と同じ意味を持つことも。
今日は朝から、なぜか※ロゴス※の力が高まっている。夏至の影響かと思いますが、今、力をもらっているのは金星。
はじめに言葉ありきは、ルシファー(金星)だ。
百合の花咲く頃にで書いた土佐神社の女神で全てを解く事できる。
”シナネ”を分解すると、”シ”は風だから※聖霊※、”ナ”は七(北斗七星)、”ネ”は子(干支)だから始まり。”はじめに言葉ありき”だからロゴス。ということは、”ナ”が父で三位一体。確かに石鎚山も父母子の三位一体信仰ですし、土佐神社境内の三社は大国主・事代主・西御前の三位一体。波多国からは七星剣も出ている。
土佐神社境内社 三位一体 土佐神社の祭礼
西御前 ⇒聖霊(母) :シ 天上界 (高天原)
大国主 ⇒父 :ナ 人間界 (葦原中国)
事代主 ⇒ロゴス(子) :ネ 地下世界 (根の国)
つまり天と西が習合し、東と大地が習合し、地下と言葉が習合し、日本ができあがっていったということ。
神は、ネが申すと書く。オカルトみたいな話ですが、ネは物事の始まりであり、事とは言葉のこと。言葉とはロゴスであり地震のこと。
シナネという単語ひとつで空間認識と信仰体系を現すのは恐ろしいほどの哲学性です。エリュシオンやロゴスは持ち込まれていますが、それを日本的に焼き直した痕跡が見られます。現代と同じです。
弥生の国風化というものが剣山系で最も早く始まったというのも頷けます。ただそうすると、縄文も月星信仰だから、太陽信仰って日本にはなかったんじゃないの?っていう感じになります。
これからですね、物部の根源に迫るのは。アミタバを祀っていたのは物部氏ですし、これからどんどん見えてくると思います。とりあえず伊勢は明けの明星信仰ですね。椿大神社はそれを守っている。
神宮はかなり複雑で、まず元々、太陽信仰があって、そこにルシファーが自然な形で習合され、それを内宮にフェニキア系が入ってイシュタルを祀って、四国で物部(太陽信仰系)と葛城(ギリシャ系)が習合して入っていったから、最も古い物部の太陽信仰が復活し、葛城のアフロディーテが内宮のイシュタルに取って代り、最終的に太陽の女神アマテラスという色んなものが混じり合ったほんとに日本らしい女神ができあがったわけです。
下記ちょっとtwitterから貼り付けます*****************
アルテミスはギリシャ語でΑΡΤΕΜΙΣ。PはRの発音だからアラテマス。PとMをひっくりかえしたらΑMΤΕPΙΣでアマテラスだよね?アヴェ・マリス・ステラ(マリア)ともつながってくる。「光をもたらす者」ひいては明けの明星(金星)を意味する言葉「ルシフェル」(Lucifer)。MとPがひっくりかえったのはミカエル(M)とルシファー(P)の隠喩だ。空海の口に金星が飛び込んできたのも室戸(ムロート)。ギリシャの(P)の発音。そしてホツミサキジは星の頂点という意味。室(ムロ)には、ミカエル(M)とルシファー(P)の2つの発音が入っている。室戸、室生、三室、神室。やっぱり日本語48音のベースには古代ギリシャ語がある。最御崎寺は、しかも24番札所。つまりギリシャ語24音最後のオメガを表している。嵯峨天皇勅願の寺。やっぱりそうだ、石鎚山の寂仙が予言している。「これから28年後、国王の御子に生まれ変わり神野と名乗る」これが嵯峨天皇。神野はコウヤでありコウボウ大師高野山のコウ。これはピラミッドマリア思想。室は女陰とされているので、嵯峨天皇の信仰は完全にマリア信仰。嵯峨天皇以降歴代天皇の信仰が篤かったらしく、、
******************************************
要するに、葛城のアフロディーテが入ってきたときに、物部氏は太陽と月の陰陽道の祭祀をしていて、女神は月と決まっていたから、葛城と忌部にギリシャでの月神の名前を聞き出したんですね。で、ΑΡΤΕΜΙΣ。この中身をいじって太陽神に変えたんですね。それがアマテラス。じゃあもともと太陽神・アポロンでいいじゃないか、と思いますが、これに抵抗したのが阿波忌部氏。阿波忌部氏は都市の守護に女神・アテネを置くほどの女神信仰集団。これが大麻比古神社。大麻山は、ほんとうは処女宮のパルテノン。
阿波忌部氏の異常的とも言える処女女神崇拝とギリシャ葛城氏のアフロディーテ・月桂樹信仰、そして物部氏の太陽と月の陰陽道、加茂氏・秦氏の原始キリスト教などが習合して建国されたのが大和。凄まじい宗教国家で奇跡的な多民族国家大和。
この色彩が打ち消されたのが、白村江の戦いでの敗北がひとつ。そして※安史の乱(あんしのらん)※以降の唐の国粋主義化がひとつ。
安史の乱までは長安には、イスラム教・マニ教・景教(ネストリウス派キリスト教)・祆教(けんきょう; 祆は示偏に天。ゾロアスター教)などの寺院が立ち並んでいましたから、多民族国家あるいは、多宗教国家というものはある程度受け入れられていたと思います。
ちょうどその頃ですよね、率川神社に阿波神社が勧請されたのも。安史の乱後、※遣唐使※は3回ぐらい失敗していて、皆行きたくないのか、仮病みたいな感じで大使が交替したりしています(笑)
だけど空海の回は真面目に行っていて、長安では間違いなくネストリウス派のキリスト教を仕入れてきたと思います。
そうでなくとも元々、佐伯真魚なのでイクトゥスであるのですが、、、
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私自身も若い頃、自分の表現ができなくて、だからこそ音楽が好きで、詩を書き始めたのも20代前半です。
それまで、自分の言葉で表現するということをしてこなかったため、自分の想いを自由に忠実に表現できるようになるには10年ほどかかったと思います。
音楽をやりましたけれども、舞台の上からセリフを振り下ろすスタイルに疑問があり、ろくに歌いたいことも歌えませんでした。(カラオケなら皆が平等だからノリノリで歌えるんですけどね(笑))私が歌いたいのは、音楽業界にも普通に存在する、むしろそういう格差(アーティストと聴衆)でしたから。
とは言っても、(格差の存在する空間内で)人前でしゃべるのは苦手で、それを克服する必要があるのかどうかと問われれば、別にないと思います。
だから皆さんも”しゃべる”コミュニケーションが苦手であれば、別にそれを無理して克服する必要はないと思います。
重要なことは表現の手段として何を選ぶかであり、しゃべることはその手段の中のひとつの選択肢に過ぎません。
それをあたかもダメ人間のように感じさせる社会のほうに問題があります。
それは五体満足でない人を普通でない人と差別する社会の風潮にも表れています。
眼が見えないことや、耳の聞こえないこと、しゃべることができないことは、別に劣っていることを意味しているわけではありません。単なる個性に過ぎません。
私が小学生の時に養護クラスというものが導入されて、それまで差別がなかったにも関わらず、その養護クラスの人たちへの差別が始まりました。
このような政策は全て哲学的思考が欠如しているため起こります。哲学的思考を醸成するためには、自分なりの表現手段を手に入れ、日々、直観に基づいて表現していくしかないのです。
そのお手伝いを私はクリスタルを通してセルフ・ヘルプという哲学の下でやってきています。
そういうことですので、できないことで落ち込んだり自分を責める必要はなく、それをひとつの個性と感じていただければいいと思います。欠けている部分があれば、出っ張っている部分が必ずあります。私が遊んでいた養護と呼ばれ始めた人たちも知恵遅れであっても、人より純粋だし芸術的才能がありました。
人と比べてしまえば、自分は劣っているのではないかと思ってしまうものです。それは人間のサガ。それよりも人生楽しめれば比較の観念自体が立ち上がってきません。
比較の観念は、他者と深く接することができていない時、沸き起こってくる怖れですから、その怖れが立ち上がってくる前に、人と深く接しているとか、人生を常に楽しんでいれば、比較の思考自体を消していくことができるんですね。
私の地元には、子供のときから何かと理由をつけて、老若男女が酒を酌み交わす文化がありますので、比較の思考自体が生まれにくくなっています。皆、同じですよ、そんなに優れている人なんかいないですし、私もダメ人間ですし。他人の芝生がよく見えるだけだと思います。
ただ、楽しむことは人よりもできるような気がします。
⇒KIN 31 青い倍音の猿
青い猿(Blue Monkey):幻想(Illusion) 力:魔術(Magic) 行為:遊ぶ(Plays)
倍音:輝き 力を与え 行動する
ですし、、、、。だから落ち込んでいる人を見ると楽しませてあげたいななんて思いますね。楽しんだり踊ったりお酒を飲んだりしますと、負の観念が消えますので、結構、身体にはいいんです。ネガティブ・パターンに陥らない基本ですね。
人生を楽しむためには、やっぱりエビスさん!エビス総本社の※西宮神社※では正月早々、十日えびすを毎年やってます。
エビスさんではないですけど、先日、春日大社に行ってきました。
一の鳥居に行く前に猿沢池というところがあって、そこに茶屋がありましたので、早速ビールを頂きました。飲んでるとちょっと小太りの男性2人組みが入ってきて、「昼前からビールは飲めないな~」なんて大きい声でいうもんですから(あ、俺のことなんだね、僕はいくら食べても飲んでも太らない体質だから飲んでもいいんだお♪メタボとは無縁だし)、と、隣でガッツリおいしそうに飲んでやりました(笑)しょうがないですよね、暑いんですから!
私の義父は、寝起きで迎え酒をやりますから、昼間の酒なんて普通です。そういう社会通念を超越するためには、どれだけ自分の周りに社会通念を超越した変人を置いておくかによります。そうすれば、よっぽど自分が普通に思えてきます。これは人間の錯覚を利用した自己認知の方法です(笑)
そういうことをやっていると、逆に「普通ではいけないのではないか?」という不安に駆られ始めるので、個性というものがどんどん伸びてくるんですね。そして、変人度を競い合うタイムラインになってきます(笑)。このタイムラインが自己に対する最高の赦しの留まることのない波になってきます。
でも自己を赦す自由だけでは、今の日本のスピリチュアルのように問題が出てきます。自分だけが自由であってはいけないのです。皆の自由と調整をはかりながら自分の自由を拡大していく。これが『自由と平等』です。このブログの本質的テーマでもあります。
一般常識を絵に描いたような人と、欠陥だらけだけどなんか和む人と、どちらとお酒を飲みたいでしょうか?たぶん後者でしょう。なぜなら前者は支配を与え、後者は自由を与えるからです。でも一般的には、前者が光で後者が闇とされています。ほんとは逆なんですよ。
たこ八郎が聖人と言われたのはそういう理由からです。あの人よりかマシ!って思わせる行動を常に意識的にとり続ける変人は”光”そのもの。存在するだけで自由を与えているわけですから。宮沢賢治のデクノボウ思想ですね。
皆、特別な人間になるために一生懸命何かを獲得しようとしますが、実は逆。捨て去っていくことこそが頂点へ登りつめるための手段なんです。色々背負ってちゃ登れないでしょ。荷物が重いときは何も楽しめないんですよ!これが禅の真髄。
ここらあたりのことは、まあ、わかる人だけにわかればいいので、今度はお酒を飲みながらでも、、、(笑)
ビール瓶は東大寺バージョンです。
この猿沢池にたくさん、瓶ではなく亀がいるんですけれども、よく見るとメダカらしきものもたくさんいるんですね。さらにあの茶屋の前にいくとエビがたくさんいるんです。これはすごい!ヤマトエビでしょうか。こんな閉ざされた空間にこれだけの生き物が蠢いているのは初めて見ました。とにかく密度がすごいんです。
子供の頃から田んぼとか沼の淡水の水生昆虫等が好きで、いつもドロドロにして家に帰るので父親に怒られてましたが、そんな私でもこんな生態系の沼は見たことがありません。
誰か知っていたら、この猿沢池の生態系の正体を教えてほしいと思います。茶屋のお兄さんに聞くと、エビはいつもいるらしく、特別なことではないということ。私にとっては特別で、エビは蜂のアンチテーゼではないかと思っていて、蜜蜂の失踪が相次いでいますが、エビはその問題を解決できると思っています。
エビはエビスだったりして(笑)
ついでに猿沢池側の采女神社と春日大社参道の産毛の小鹿。
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