ドリカム の 「 7月7日、晴れ 」 です。
会えたかな、会えなかったかな?織姫(あめのうずめ)と彦星(さるたひこ)
私は大麻比古神社にいました。
参道の途中に大楠があるのですが、『回って、回って』って。ウズメだし鳴門の渦潮ですよね。
回ってると音が鳴るんですよね~盆踊りみたいに。
イザナギとイザナミもぐるぐる回ってたしね。
太鼓(男性性)と鈴(女性性)でワンセット?
タタク(男性性)、ススル(女性性)?
勝男の叩き(鰹のタタキ)と五十鈴?(笑)
物部と伊勢ですよね。伊勢というか磯。磯子?
† 月弓大神 †
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実家近くの道路の中央分離帯に無数の百合が、、、
これってソルボンヌ?
き、きれいすぎる、、、
それにしても、植えたにしては不規則的ですし、管理が行き届いていなくてもったいない。
国産の笹百合もこんな具合にカヤの中に混じってたくさん咲いていたんでしょうか。今となっては、その美しさを日本人は二度と見ることはできないかもしれません。
笹百合は、栽培は難しいらしく、開花まで年数もかかるので、自生地の環境を破壊してしまうのは大変なことですね。百合まつりの百合も最近は造花みたいですし、、、
法事でお寺に行ってました。ほんとに良いことが書かれています。
アメリカ由来の成功哲学よりも、神仏を敬うほうが人生の成功者になれるはずなのに、なぜ今の日本人は表面的な世界にとらわれてしまうのでしょうね。
空海は遍照金剛と言います。遍く照らす大日如来です。
六甲山系では、大日如来はオオヒルメと習合してます。
淡路島からエリュシオンへと続く黄金の道ができてました。
とりあえず、百合とエビ(恵日)はマイブームですね(笑)
今度、エビス総本社の西宮神社に行ってエビスさんに聞いてみますし、淡路島のおのころ島神社もイザナギ・イザナミ・ククリヒメだから怪しいですよね。
徳島の日和佐(ヒワサ)と天日鷲(ヒワシ)と琵琶湖(ヒワコ)っていうのは、つながっていると思います。おそらく『昼と夜という2元論』を超越した哲学がこのラインにあるはずなんですね。その鍵となるのが、エビと百合。
ユグドラシルの九つの世界にディケイドを掛けると99でククリ。九つの世界は、日本においては東西南北に丑寅・辰己・未申・戌亥、そして心御柱を加えた方位の世界。丑寅の金神は東北地方が栄えていた縄文晩期の亀ヶ岡文化の根本哲学になっていたと思われるから、このヒワの問題というのは、縄文から弥生に開かれる時に大きく何か他の哲学の影響を受けているはずなんですね。
つまり丑寅だけではないですよ~みたいな。九つの世界はそれを崩すのには充分すぎるほどの哲学ですよね。四国では戌亥のシリウスが入ってきて”狼”が神格化されてますから、丑寅だけではなくなってます。
中国の八卦や陰陽道は、日本にあったものが逆輸入されてきたものが多いので、日本を根本的に変革していったのは、オリエントや北欧の哲学だと思います。
戌亥の朝鮮半島から辰己へ抜ける文化と、未申から丑寅へ抜ける黒潮文化が西日本最高峰の石鎚山でまず衝突してから東へ抜けていきましたから、淡路島が丑寅を守る防衛ラインとして機能していたのは、可能性としては、かなりあるでしょう。淡路島-琵琶湖は完全に丑寅ラインですから。
※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
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昨日、家の近くのオーガニックレストランで※ビオディナミ農法※で作られた赤ワインを飲みました。いわゆるこれはシュタイナー農法。太陰暦(月の満ち欠け)に沿って収穫時期などを決める農法で、批判なんかも多いですけど、スピリチュアル業界との親和性が非常に高い。
シュタイナーは、ほんとに変わり者のド変人だと思う(笑)私はそういう人間が大好きです。谷崎潤一郎の自分を偽らないマゾヒスト女神崇拝文学もたまらなくいい。
西洋では日本と同じように月の文明が消されていて、土もサタンに仕立てられて、太陽=キリストになったわけです。
ギリシャ哲学の影響が非常に強くてロゴスが完全に優位に立っていて、ルネッサンスで太陽を否定するものの、その先が全然見えなくて、シュタイナーとかオーストリアの音楽とか、あとマリア信仰とか、色々なロゴス以前の文明が出てきてはいるんですけど、どうしてもそれがなんなのかに到達することができない。
最近公開された『アバター』でも※ヴァチカン※が否定的な見解を発表したように、月と土の文明への回帰は、西洋史そのものの否定につながるんですね。でも私は、日本の古代も含めてそれを徹底的にやりたいと思っています。
魔女狩りはやっぱり間違ってるし、ケルトの木の文明、北欧の世界樹の思想は、日本とも深くつながっている。これはほんとに月と土と密接に関わっているんですね。
昨日食べた料理も、無農薬野菜で素材を活かすという視点が徹底的に遂行されていて、ここらあたりは日本食と完全にシンクロするものですね。私も人間を活かした社会を作りたいのでアメノマリアをやっているわけですし、、、
結局、活かすも殺すも腕次第なんですけれども、生命の自由意志を尊重してあげれば、どんな生命も自浄作用というものを回復させます。これは自分の身体にも適用されます。自分の脳で身体を支配している思っている内は、それぞれのパーツからエネルギーが湧いて来ない。そして何もやる気が起きなくなる。
全部、開放してあげればいい。自分の身体さえ自分の持ち物だと思わなければ、人間は楽になれる。
江戸時代までは伊勢に並ぶほど参拝者があった香川の※金刀比羅宮※。うちらは、こんぴらさん、こんぴらさんって呼んでます。※森の石松※もこんぴらさんからの帰り道で斬られて死んでる。
※金刀比羅宮※には、煩悩の数の1368段の階段があり、それを昇ってると自分の身体をコントロールするというのさえ馬鹿らしくなってきます。自分の身体を解放してあげないとなかなか昇れないですね(笑)
※四国八十八ヵ所※めぐりもそういうストイックさの連続です。発心(阿波)・修行(土佐)・菩提(伊予)・涅槃(讃岐)で四国なんですけど、修行に入る土佐の一番札所は※最御崎寺※でホツミサキで星の頂点という意味。
号は明星院(みょうじょういん)で、88ヵ所の修行行場は、最初に星が導くということ。
最御崎寺は嵯峨天皇の勅願所。※石鎚山の寂仙が生まれ変わるといって、本当に生まれ変わって皇位についた※。チベットよりもすごい。
その嵯峨天皇が異様に信仰したのは『誰よりも先に照らす者』の、ルシファーとかシリウスとか、サルタヒコ、プロメテウスの信仰、それが最御崎寺の信仰。室戸岬は東の※補陀落※で、西の補陀落は足摺岬(蹉跎岬)。
補陀落渡海船には、八十八ヵ所と同じ4つの門が作られていて、それぞれ「発心門」「修行門」「菩提門」「涅槃門」と呼ばれた。菩提樹は世界樹。伊予(愛媛)は西のエリュシオン。
嵯峨天皇の諱は神野(かみの)。これはコウヤ、コウノでマリア信仰。石鎚山は三位一体の三輪の最高神。石鎚山から流れる仁淀川は、古代、三輪河。三輪河流域だけで狼はオオカミと呼ばれ、他地域ではヤマイヌと呼ばれていた。シリウスは犬狼星。銅鐸文化圏と銅矛文化圏がせめぎ合った土佐中央部から石鎚山は戌亥の方角。その土佐中央部に延喜式内社・石土神社がある。石鎚山の元宮を主張している。石鎚(イシヅチ)は元々、石土(いわつち)。
嵯峨天皇は、空海と並んで三筆のひとり。最後のひとり橘逸勢(たちばな の はやなり)は、三ヶ日で亡くなっている。皆、前王朝に関係している。
空海は、室戸で修行して、口の中に金星が飛び込んできたという。自分をコントロールしようとしなければ、星だって食べられる。自分を縛り付けているものは、自分の偏見や思い込みや既成概念。それをとにかく捨てないと。
今度皆で荒らしにいきましょう。徹底的に飲んで徹底的に踊れば自分というものがなくなる。その感覚が大事。あとは共有するという作業しか残らない。
※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
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結局、Webの世界だけになりますと比較の心理が働きますので、やっぱりリアルな人間関係というのは重要です。
しっかりとした地域社会があれば、地域の人は皆、声をかけてくれて、自分に対する認知をしてくれます。人間は、この認知を常に求めていて、『○○ちゃん大きくなったね~』とか『○○くん、最近どうなの?』みたいな他愛もない会話に様々な認知の機能が含まれているんですね。
だから、このような地域社会や親戚社会、友達社会や家族社会が崩壊してますと、人間は自分への認知を求めて、自分を認めて誉めてくれる人を探すようになります。
地域社会が安定していて、家族の愛や親戚中の愛を受け取っている場合は、そこから抜け出そうとは思わず、その愛に対して恩返しをしたいと思うようになります。これが郷土愛の原型です。
逆に、地域社会や家族の愛が壊れていた場合は、極端な話、芸能人になって有名になりたいとか、お金持ちになって好きなものを買いたいとか、そんな夢を持つようになります。結局、認知の問題なんですね。
『こんなこともできるんだね~』とか『やっぱり頼りになるね~』とか、地域社会の中でも役割分担がある場合なんかは俄然、認知も深くなり、愛の交換なんかも増えてきます。こういうつながりって結構、減ってますよね。
この人間同士のつながりの維持は全て昔は、お祭りが請け負っていました。
現代は、価値観が多様化してきてますが、その価値観を共有する場が圧倒的に少なく、人は認知の場を求めて彷徨い続けます。
このような現状に対して、緩やかな地域社会のような、なんでも声をかけあえるようなものを作っていきたくて活動してます。宗教みたいなものを作ろうとしていると思われていたらどうしようなんて思いますが、私がやりたいことは、認知の向上なんですね。
家族が安定していて、地域社会が安定していて、親戚中が安定していたら、何も望むものなんかないと思うんです。
それが前提(家)としてあれば、どんな風(批判)や雨(抗議)がきても平気なんですね。風(批判)や雨(抗議)を嫌う人っていうのは、家がない人なんですね。真理っていうのは、心御柱(大黒柱)の理(ことわり)ですから。これはアメノコヤネの哲学ですね。
そういうものを取り戻さないといけないと思います。One more time,One more chance でしょう。
何をしなければいけないかというと、神社のお祭り・祭祀・祭神・由緒などに対する理解と人間関係の再生ですね。
もっと普通に色んな世代の人たちがざっくばらんに話し合えて笑い合える場というものが必要でしょう。
これが、教義というロゴスで結合させられれば宗教になるのですが、私は日本的な”道”でやりたくて、茶道・華道・柔道・剣道・柔道・修験道・神道なんかですね。これは宗教ではなくて文化であり、生き方なんですね。だからスピリチュアル道というカテゴリーを設けています。
もうだいぶ、核のキーワードは固まってきていて、瀬織津姫・マリア・水神なんかですね。
それを起点に様々な経済循環が起こってくると思います。いや、起こしていかないといけない。
ということで
山崎まさよし さん の 「 One more time,One more chance 」 です。
男性の皆さんは十八番でしょう。
君の他に大切なものなど、の君は大君のこと?(笑)
大君って結局、神社神道でもあり、日本社会だから、、、
桜木町。こんなとこに来るはずもないのにっていうのも象徴的ですよね!
サクヤ姫が桜木町にいないんです。コノハナ(イワナガ姫)を裂いて清らかな水とともに出て来るのがサクヤ姫(瀬織津姫)であるはずなのにね!
明け方の街、桜木町!?
朝=麻。大麻比古が白む?サルタヒコ、白鬚?、、、サクヤ、、、花咲かじいさん?やっぱり。今年も花咲かじいさん(えびす、ほてい?)がキター、、、金華山
そういえば、忘れてました。
弁財天の前の祭神は、いざなぎで火(日)の神だって、、、
竹生島=竹(タケル)、竹島=竹(タケル)、健依別=タケル
来月、桜木町の隣の関内駅で
7/19 「MUSE(女神)のベリーダンス」WSを開催します。
どうぞよろしくお願いします!
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前試合でFKでの得点をあげた本田と遠藤は、徹底的に研究され、マークされていたので、あまりいい所は見られなかったが、それはパラグアイを誉めるしかない。
本田と遠藤のFK射程距離内でのファウルに狼狽していたパラグアイ監督を見れば確かな戦略と本田潰しがあったことは明白。
その分、中村憲剛が投入された後は、ゲームメイクが圧倒的に変わった。憲剛がパラグアイの研究対象から外れていたためだろう。
一進一退のゲームで手に汗を握った。
目立たないが、日本のディフェンダーの能力は驚異的。オランダを1点に抑えたのは偶然ではなく実力そのもの。4年前のW杯では、後半30分あたりからガタガタと崩れてしまっていたが(オーストラリア戦ではそこを突かれた)、今回は、延長戦の最後の最後まで集中が途切れなかった。日本サッカーは、飛躍的に前進した。
今回のベスト16の結果は、メンタルの成長を物語っている。フィジカル面においては駒野も中澤もそれほど変わったわけではない。むしろ中澤は代表からの引退も宣言していたようにフィジカル面は絶頂期を超えている。また、闘莉王、長友、長谷部、皆もすごい。完全に機能していたし、特に身体の小さい長友の巨漢を抑える精神力は、大和魂の象徴的スタイルだ。
大久保の根性は、皆を勇気づけただろうし、阿部だってFKの名手だ。
憲剛が投入されるまでは、ボール支配率は、パラグアイが圧倒的に勝っていたから、いつ点を取られてもおかしくなかった。いつもの日本なら、必ず点を入れられていた展開だった。しかし川島のファインセーブ、闘莉王・中澤のカバー。前々回、アジアンカップでボンバヘッドを何回も披露し、やられてはやりかえして優勝したあの光景が蘇る。
日本のFIFAランクは必ず上がるだろう。今回のベスト16は日本サッカーの底上げが証明されたのと、延長戦の最後まで走り抜けられるという自信を日本全体にもたらした。
駒野のPK外しによる敗戦は、決して終わりを意味していない。死駒ではなく、生駒だ。パラグアイ戦が終了した瞬間に次W杯への闘いが始まった。
なによりもパラグアイ戦は、サッカーを愛する日本人に夢を与えた。世界が届きそうになっている。今回のW杯は、世界のスポーツメディアが日本の試合に言及した。こんなことでさえ今までなかったこと。それだけでなく、日本の組織力とプレースタイルに興味を抱いている。私も、身体の細い憲剛が屈強なDFをするすると抜けていく不思議さに魅了された。
最後のPKを見ればわかるが、パラグアイのFWのシュート力というのはすごい。インステップにジャストミートさせなかった日本DFの身体の入れ方は最高だったということである。パラグアイはブラジルとアルゼンチンという優勝候補に挟まれた強国だ。今回もイタリアを下してグループを1位で通過している。そういうチームと対等に渡り合うということ自体が昔なら考えられないことだ。
小さい常識を日々、打ち破ることこそが文明を前進させるのだ。
私も中学校時代に雨の日は、階段のインターバルや筋トレをやっていて、その合間に視聴覚室でW杯のビデオ観戦と監督のサッカー談義が始まる。もう20年前くらいの話か(笑)
ファールされても倒れないマラドーナを見ろ!と。私の中学時代のサッカー部の監督は鉄人と呼ばれていた。身体は小さいけどドリブルが鉄のように堅く激しいタックルを受けても倒れない。驚異的だ。監督と同じ高校に行ったので高校のOB戦にはよく来ていた。50歳を過ぎても鉄人だった。
高校のサッカー部の監督は、鉄人とは真逆の”お前ら勝手にやれ”の放任主義者。サッカーは楽しくやるものと考えていた自分には、それがたまらなく良かった。中学時代は皆、血尿が出るくらい走らされていたし、鉄拳も食らわされていた。
中学時代は、キャプテン翼の影響で部員が100人を超えていたからレギュラー取りが難しかった。持久力がなかったが、それでも右ハーフで出場していた。そんないいことはあまりなかった。うまい奴はいくらでもいる。高校に行くと進学校であったため部員もそれほど多くなく1年からレギュラーで出場できた。しかしそれも2年の途中まで、、、後輩に上手なものが入ってきて徐々にポジションを奪われた。
最後には、公式戦でキーパーをやらされるハメに。その試合は奇跡的に勝った。私の巨漢な兄は、中学・高校とも私と同じ学校で、ずっとキーパーのレギュラーだった。その兄にキーパーの真髄はいつも聞かされていた。兄の太ももは、私のウェストぐらいある。なぜ兄弟でこんなにも体格が違うのか不思議だ(笑)
兄は今でもサッカーをやっているし、兄の子供たちもやっている。今では私の従兄弟が、私の中学のサッカーの監督をやっている。もう50歳近いけど、その従兄弟も鉄人のような人だ。でも、温和で優しい。
違う従兄弟の息子は、地元の高校サッカーで活躍して、今年、サッカー推薦で東京の大学に合格した。それでも皆、Jリーグにはかからない。日本代表の下には無数のサッカーを愛する人たちが存在する。
私は、最後のインターハイに出られずに腐ってしまった。サッカーは楽しむだけではだめで、日々の積み重ねも必要。それを理解したのは、もっと後のこと。好きだった分、私のサッカー人生にはかなりの負い目がある。だからこそ今は、日々研鑽することを怠ることはできない。楽しむと同時に日々の積み重ねが必要なのだ。
サッカーに終わりがないように、人生にも終わりがない。死というホイッスルがあるが、それは次のホイッスルの始まりに過ぎない。命はいつまでも続くのだ。今日も研鑽、明日も研鑽、死んでも研鑽は続くのだ。
高校3年の文化祭で、例のバンドの発表会で、自分が出られなかった分、最前列に近い列でノリにノッテ踊りまくっていたら着地に失敗して、右足の靭帯が切れて、左足の靭帯も損傷した。恐ろしく腫れて、歩けなくなった。関大に行った男前のバレー部の友人にずっと付き添ってもらった。『どうすんの?、靭帯切れたら手術しとかないと切れやすくなるから、サッカーできなくなるよ』と。手術しなかった。サッカーはあきらめた。最後のインターハイにも出られなかったので、自分には才能がないと思った。
3年の時に新しく顧問になったサッカーを知らない先生に、品行不良・輪を乱すということでサブからも外された。中学時代からずっと一緒にサッカーをやってきた友人と2人が標的になって、髪を金髪に染めた友人と聖なる部室をめちゃくちゃに破壊して僕ら2人のインターハイは終わった。(私はやってないけど喧嘩っぱやい友人を制止していない僕も多分、同罪だろう)。最後の打ち上げでも居酒屋で隣の席のヤンキーと喧嘩になってビール瓶で頭を殴られて血をだらだらと流していた。
南国だし酒豪の国だから喧嘩は、よくある。でもその分、仲間意識が強い。その友人は高卒で建設会社に就職した。根性を活かすことのできる仕事だ。たぶんまだ喧嘩してるだろう(笑)何年か前に電話して以来、どうなったかは知らない。
長友選手の出身は、愛媛県西条市。札付きの悪いやつがいることで有名な新居浜市の隣だ。彼も元ヤンだったらしい。サッカーは喧嘩だ。審判の見てないところで、腹を殴られたり、後ろから蹴られたり、恐喝まがいのことを言ってくるやつもいる。フランス代表のジダンもそれで怒った。
奇しくも長友選手と同じ大学だ。大学時代まで無名だった人間が代表で活躍できるなんて考えたこともなかった。私にも可能性があったか。いや、全然なかっただろう。腐って諦めていたから。でも、大学受験では血を吐くぐらい勉強した。浪人して大学合格を高校に報告しにいったら私をインターハイのレギュラーから外した先生がいて『(成績が悪く退学すれすれで品行不良な(笑)お前が)一体どんな勉強をしたのだ?』と聞いてきた。『俺の実力だ』と言い残して母校を後にした。
中学時代に、うまいけど審判の見えないところで手を使ったりする汚い奴だと知られていた男がいた。豪快にして俊敏、安定した守備と確かなリーダーシップ。その男と同じ高校になった。そして、そいつがキャプテンになった。意外といいやつだった。早くに母親を失くして苦労をしたようだ。本田選手も似たような境遇だったか。サッカーには人生がかかっている。
大学時代に帰省した時、たまたま高校時代のライバル校の連中と喧嘩になって私も巻き込まれてボコボコにされた時に、そのキャプテンは、双方を仲裁した。キャプテンマークはグラウンドだけではない。高校の時、私はセンターフォワードだったから、一番乗りで仲裁にいくものだから勘違いされて巻き込まれる。サッカーのポジションは人生のポジションを如実に表している。
やっぱり私はセンターフォワードだ。なんとしても、この国の”新しい形というゴール”をこじ開けたい。批判、抗議、喧嘩、なんでもあるだろう。そんなことはサッカーではいくらでもある。元々、サッカーは、相手のプレースタイルを如何に封じ込める(批判する)かが、課題なのだ。
相手が大きければ俊敏さで、俊敏さと堅実さを持つ相手ならトリックで崩していかなければならない。私は、サッカーで手に入れることのできなかった持久力を手に入れた。個人技はもういい。仲間が必要なのだ。
だけど、私にはゴールしか見えていないので、そのゴールへの執着を誰かと共有するのが難しい。しかし、誰かがパスをまわしてくれなければゴールができない。
子供がサッカーをやりたいと言っているので、やらせてみるのも一興か。ゴールへの嗅覚も維持しておきたいし。しかし悪夢が蘇る。皆、私に『一生懸命やれよ』と言う。でも、その度に私は、『サッカーは一生懸命やるものではない、楽しむものだ』、と言い返す。しかし、今ならわかる。両方が必要なのだ。
パラグアイ戦はそういうことを私に思い出させてくれるほど強烈だった。涙が流れた。誰も駒野を責める事はできない。今年は生駒に行こうと思った。
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