レムリアンリゾナンスがなぜ自由民権とか邪馬台国に
言及するかと言いますと
前回の桐生の記事でもレポートしました通り
地方の一様の衰退というのは国家の政策の問題ももちろんありますが
それよりも根源的な問題があります。
それは日本人自身が多神教から1神教に移行したということです。
今でも日本人は”日本には八百万の神さまがいる”とは言いますが
内実は”ひとつの国家”や”ひとつの政府”しか信仰できない
1神教の民族に成り下がってしまいました。
多神教の一君万民は100点ですが
1神教の一君万民は0点です。
多神教の大和は100点(邪馬台国あるいは自由民権運動)ですが
1神教の大和は0点(大和朝廷あるいは国家神道)です。
多神教の『和して同ぜず』は100点ですが
1神教の『付和雷同』は0点です。
言うまでもないですが大和の”和”は前者の多神教の”和”で
それらが大きく成されることを大和と呼びます。
聖徳太子の和でもあります。
しかし、大和朝廷が行った蝦夷・土蜘蛛・国栖討伐は全く和ではないし
日本書紀の根底に流れるものも1神教です。
こういうことを認識できる土壌というものがどんどん失われていってます。
地方の衰退は実はその地下水脈を持っています。
だから国から交付税をもらったり、何かをやってもらおうとします。
昔は土地を開くのも運営するのも自分たちでやってました。
氏神と氏子がいて皆、協力して豊かな社会を形成している土地も
たくさんありました。
それは完全なローカリズムであるし、多神教の世界です。
それが1神教に完全にのっとられたのです。
これを元の多神教の国家に戻すためには
多神教と国家が強烈に共存した弥生時代の日本に戻さないといけない。
奇しくも世界は食糧危機や食物偽装で
食べ物に対する関心も異様に高まっています。
日本神話は穀物神話で弥生時代の話です。
それと同時に日本国家の始原は弥生時代にあります。
ずばりそれは大和朝廷ではなく邪馬台国にあります。
ですから自由民権と邪馬台国が
レムリアンリゾナンスにつながってくるのです。
多神教というのは”あらゆるものに自由を与えていく”宗教ですから
社会に力がみなぎってくるわけです。
アメリカみたいに”自由と民主主義”を押し付けて
世界から自由を奪っていく1神教とはわけが違います。
ゆえに多神教とは自由民権なのです。
そしてローカリズムなのです。
ですから自由民権運動が盛り上がる土壌を持っている土地が
最も邪馬台国に近いのです。
これを考慮に入れて過去の自由民権、
そしてこれからの自由民権を考えれば
おのずと邪馬台国は浮上してくると思います。
別に邪馬台国の遺跡など見つかる必要などないですね。
要は今を邪馬台国の多神教にして存在させてあげれば
私たちは邪馬台国を生きていることになるはずですから。
それが大和であり日本なのです。
つまらん大和朝廷の支配主義から目覚める時ですね。
そうしなければ日本はもう終わりです。
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